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【中国共産党大会2017】政治局常務委員と次期最高指導部の顔ぶれ

第19回中国共産党大会(10月18日開催)で決まる第二期習近平政権の顔ぶれについて、読売や日経、産経新聞などが様々な予測を出していました。

今回は政治局常務委員(最高指導部を構成するチャイナセブン)の経歴を整理してみます。

紛らわしいのですが、中国の権力機構では「国家機関」である全国人民代表大会(全人代)と中国共産党大会(党大会:「中央委員会」が人事を司る)でそれぞれの要職を任命します。

  • 全人代:「国家主席」「首相と閣僚」「国家中央軍事委員会主席」を任命
  • 党大会:「総書記」「政治局員常務委員」「党中央軍事委員会主席」を任命

中国は8944万人(2016年12月時点)を擁する中国共産党が仕切っている国なので、実際に重要なのは「党大会」で任命される役職のほうで、全人代で任命される役職は、中国の体面を整えるための「外向けの顔」です。

党大会のほうが全人代よりも重要なので、中国では、その前に一層厳しい情報統制が敷かれます。

党大会の日程の流れは以下の通りです。

  • 約1年かけて全国から2287人の代表が地方や中央政府、軍内にある党組織から選ばれる
  • 資格審査委員会が2287人の代表を承認
  • 代表が1週間をかけて習近平が行った党中央委員会報告の中身を全体会議と分科会で討議(自治区や直轄市、軍等の代表団からなる分科会では内外メディアも入れる日がある)。
  • 討議をへた報告や党規約改正案等が全体会議で採決される。

結論は8月開催の北戴河会議(元党主席や元閣僚、現政権幹部との会談)で決まっており、それを党大会で追認するわけです。

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共産党大会で決まる新しい政治局常務委員

人民日報によれば、新しい政治局常務委員の顔触れは以下の通りです。

  • 習近平:総書記/国家主席/党中央軍事委主席
  • 李克強:首相
  • 栗戦書:中央弁公庁主任⇒中央弁公庁主任
  • 汪洋:副首相⇒国務院副総理
  • 王滬寧:中央政策研究室主任⇒中央書記局書記
  • 趙楽際:中央組織部長⇒中央規律検査委書記を兼務
  • 韓正:上海市党委書記⇒現職のまま

栗、趙の両氏は明確は習派。

王氏は中立的と言われますが、体制のブレーンなので、基本的には習氏支持です。

そのため、習派が半分以上を占めたと見ることができます。

中国最高指導部人事に関する各紙の予測精度はどの程度?

中国共産党大会に関する各紙の予測精度を検証してみます。

北戴河会議で作られた次期最高指導部リストを読売が入手?

読売新聞(8月24日:朝刊1面)は「中国次期指導部リスト判明」と題した記事を公開していました。

この記事では、習政権の事実上のナンバー2で、汚職摘発を進めていた王岐山(69歳)の名前がないとされていました。

読売記事は、以下の予測を出したのです。

  • 習近平(総書記/国家主席/党中央軍事委主席)⇒留任
  • 李克強(首相)⇒留任
  • 張徳江(全人代常務委員長)⇒今期まで
  • 兪正声(中国人民政治協商会議主席)⇒今期まで
  • 劉雲山(党書記局書記)⇒今期まで
  • 王岐山(党中央規律検査委書記)⇒今期まで
  • 張高麗(筆頭副首相)⇒今期まで
  • 汪洋(副首相⇒全人代常務委員長
  • 韓正(上海市党委書記⇒人民政治協商会議主席
  • 栗戦書(現中央弁公庁主任⇒中央規律検査委書記
  • 汪洋(副首相⇒全人代常務委員長
  • 胡春華(広東省党委書記⇒副首相※外れ
  • 陳敏爾(重慶市党委書記⇒宣伝・イデオロギー担当※外れ

その後、10月24日報道でも王氏退任の見通しを報じました。

※読売「基礎からわかる中国共産党大会」(2017/10/8:7面)

 10月8日時点で、読売新聞は、汪洋(現・副首相)、胡春華(現・広東省党委書記)、韓正(現・上海市党委書記)、栗戦書(現・現中央弁公庁主任)が政治局員から常務委員へと昇格、陳敏爾(現・重慶市党委書記)が中央委員から常務委員に昇格すると見ていました。

習近平は「党主席」に就任?⇒独裁強化なるも「集団指導体制」

産経(2017/8/29:3面)は「集団指導体制」が崩壊し、習近平の「独裁体制」が確立すると予測しました。

「秋の党大会では、①習の指導思想・理念を毛沢東思想と並ぶ『習近平思想』として党規約に記載する、②毛沢東が30年以上、君臨した『党主席』が復活する」(68歳定年制も変更)

日経(2017/8/29:1面)では、68歳定年制は変更され、「今回の党大会で2期目に入る習近平総書記(国家主席)は69歳で迎える2022年の次回党大会でも最高指導者に留まり、3期目が可能になる」と述べました。

習氏は毛沢東時代の職位で、82年に廃止された「党中央委員会主席」(党主席)の復活も提案している。党・政府・軍に強力な権限を持つポストで、毛沢東は死去するまで30年余り就いていた。実現すれば年齢や任期にかかわらない長期政権につながる可能性がある。

しかし、24日に閉幕した党大会では「党主席」制度の導入には至りませんでした

習近平思想が党規約に明記され、習派幹部が次々と常務委員会入りし、独裁体制は強化されましたが、一応は集団指導体制が維持されたのです。

なお、前掲の日経記事は、今回の党大会では以下の人事がなされると報じました。

  • 習近平(総書記/国家主席/党中央軍事委主席)⇒党主席
  • 李克強(首相)⇒留任
  • 王岐山(党中央規律検査委書記)⇒未定
  • 栗戦書(現中央弁公庁主任)⇒昇格
  • 汪洋(副首相)⇒昇格
  • 胡春華(広東省党委書記)⇒昇格(※外れ)
  • 陳敏爾(重慶市党委書記)⇒昇格(※外れ)

共青団の胡春華・広東省党委書記、習氏の元部下である陳敏爾・重慶市党委書記はともに最高指導部入りできませんでした。

毎日新聞は習体制強化を予測(独裁までは困難との見方)

週刊エコノミスト(2017.10.17:P22~23)では坂東賢治氏(毎日新聞専門編集委員)が「チャイナセブン」は現状維持(習首席と季首相は留任)と見て人事の中身を予測しています。そのうち4人の昇進は固いという見方です。

  • 汪洋(副首相)⇒昇進
  • 胡春華(広東省党委書記)⇒昇格(※外れ)
  • 陳敏爾(重慶市党委書記)⇒昇格(※外れ)
  • 賀軍科(共青団ナンバー2・常務書記)⇒昇格(※外れ)

坂東氏は、毛沢東時代にあった「党主席」を復活させ、習近平が独裁を実現するという説については懐疑的です。

「毛沢東時代の独裁体制の弊害を受けて党規約に明記された『終身制の廃止』は党内のコンセンサスになって」おり、「法治」を目指した習体制では、「人事の制度化」は「ないがしろにはできない」からです。

王岐山(党中央規律検査委書記)の去就については留任の可能性が高いが、引退の場合は、趙楽際(党中央組織部長)、韓正(上海市書記)、王滬寧(中央政策研究室書記)の三名のいずれかが任命されると述べていました。

このうちの趙・王の両氏が最高指導部入りを果たすことになりました。

※王滬寧(62):習近平ブレーン。政治、外交・安保などの政策に関わる。上海市の名門・復旦大学元教授。

※趙楽際(60):陝西省のトップだった頃、習一族との縁故を深めた。組織部長は党人事に関わる仕事。

党規約改正の注目点:習近平思想の明記

10月15日には、各紙が習近平の権力強化のために党規約が改正されると報じました。

その根拠は14日に開幕した7中全会(第18期中央委員会第七回全体会議)のコミュニケに「習近平総書記の一連の重要講話の精神と治国理政(国政運営)の新理念、新思想、新戦略」という表現が盛り込まれたからです。

党規約は党員心得や中央と地方の党組織を規定しており、5年に1度の党大会でしばしば改正されます。その行動指針にはマルクス・レーニン主義や毛沢東思想のほか、鄧小平理論や江沢民、胡錦涛の方針が書かれています。

ここに習近平も名を連ねることになったのです。

  • 鄧小平理論:社会主義市場経済、中国共産党の正当化等
  • 「三つの代表」:共産党は先進的な生産力、文化、広範な人民の理論を代表(資本家入党を容認)。江沢民が提唱した。
  • 「科学的発展観」:持続可能な発展を目指す政策。胡錦濤が提唱。

習総書記は党規約に「習近平思想」を書き込むことを狙っています。

習近平にとってベストなのは個人名を入れた「〇〇」思想という形で記載され、それが「行動指針」となることです。これは毛沢東や鄧小平と同じ形なので、その権威は最大限に高まるからです。

その権威づけの基準には「個人名が入るか」と、「行動指針」入りするか、という二点があります。江沢民や胡錦濤は退任時にそれぞれの政治方針が党規約に「行動指針」として盛り込まれました。しかし、この二つは「個人名入り」の形式ではありません。

それは、毛沢東時代の個人崇拝の再現が警戒されたからです。

しかし、18日に党大会が開幕し、習氏の政治思想が党規約に盛り込まれる規約改正が行われる方針が固まりました。

習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」が行動指針とされます。

これは、「中華民国の偉大な復興」「五位一体」(政治・経済・文化・社会・生態文明の統一的建設)、「四つの全面」(余裕のある「小康社会」の建設、社会の全面的深化、法に基づく国家統治、厳しい党内規律)等のことを指しています。

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新しい政治局常務委員(チャイナセブン)の経歴

こうした前提を踏まえて、現在の政治局常務委員と、次期指導部候補の顔ぶれを紹介してみます。

(中国名は「氏」をつけると読みにくいので敬称略)

習近平(総書記/国家主席/党中央軍事委主席)

言わずと知れた習近平国家主席。

正確に言えば、以下の四つの役職を兼務しています。

  • 中国共産党中央委員会総書記
  • 中国共産党中央軍事委員会主席
  • 中華人民共和国主席
  • 中華人民共和国中央軍事委員会主席

周知の事実も多いので、紹介はコンパクトにいきたいと思います。

習近平(シージンピン/しゅうきんぺい)は1953年6月に北京市で生まれました(原籍地:陝西省富平県)。

現在は64歳なので、共産党の68歳定年の慣例通りにすると、あと1期しか共産党総書記を務めることはできません。そのため、現在、「党主席」制度の復活や最高指導部の改革を行い、3期目の政権を率いられる体制を目指しています。

役職の違いが分かりにくいのですが、「総書記」は中国共産党の長、「国家主席」は中華人民共和国の長であることを意味しています。そして、「党中央軍事委員会主席」は共産党の軍である「人民解放軍」の長です。

この役職のうち、最も重いのは「党中央軍事委員会主席」です。

この役職がなければ、共産党総書記や国家主席でも、軍を動かせず、「党中央軍事委員会主席」に頭が上がらない名目だけの指導者になってしまうからです(実際、鄧小平は「党中央軍事委員会主席」のまま院政を敷いて名目上の国家指導者を支配下に置いていたことがありました)。

中国の真の支配者は人民解放軍を握る者であり、党中央軍事委員会主席であるからこそ、共産党総書記として、名実ともに党を率いることができる。また、党を率いる者は、共産党の指導下にある中華人民共和国を率いることができるーーこうした権力の構造になっているわけです。

(習近平は2012年秋に総書記と同時に党中央軍事委員会主席に就任していますが、過去はタイムラグがあり、江沢民が党中央軍事委員会主席の地位を鄧小平から継いだのは総書記就任から5カ月後でした。胡錦濤が中央軍事委員会主席となったのは総書記就任から2年後です)

そのため、共産党大会前に習近平は「中央軍事委員会」の委員3人を拘束し、1人を更迭しました。

(拘束⇒呉勝利〔前海軍司令官〕/房峰輝〔前統合参謀部参謀長〕/張陽〔前中央軍事委員会政治工作部主任〕。抗争されたのは馬暁天〔前空軍司令官〕。房、張、馬の3氏は胡錦濤派と見られている)

そして、習近平派の軍人を次々と昇進させています。

昇進したのは、 韓衛国(前中部戦区司令官⇒陸軍司令官)、丁来杭(前北部戦区空軍司令官⇒空軍司令官)、沈金竜(前南海艦隊司令官⇒海軍司令官)、李作成(陸軍司令官⇒統合参謀部参謀長)の四名。

軍の要職者を習派でおさえました。

トップになると「反腐敗運動」を始め、長老の影響力を排するために活動を開始しました。

(その支持層は、革命第1~2世代の共産党幹部の子弟が集う「紅二代」が多い)

習近平が総書記になるまでの経歴は以下の通りです。

毛沢東の戦友だった習仲勲の家に生まれました。

「中華民族の偉大なる復興」をうたう習近平は、漢族の出身です。

文化大革命の頃、1969年には陝西省に送られ、農業コミューンで 6年ほど肉体労働者として働いています。

(※この件は、人民日報の「略歴」では「1969年1月就職」と書かれている。現政権の幹部世代は、若い時代に文化大革命を経験し、地方の農村で労働を強制(下放:シャーファン)された人が多い)

その後、1974年1月に中国共産党に入り、陝西省の党支部書記となりました。

22歳ごろ(1975年)に清華大学化学工程学部に入学し、そこを卒業した後、政治家の国務院副総理の秘書を 3年ほど務めました。

(※その後、大学院に行ったので、清華大学人文社会学院にて「マルクス主義理論・思想政治教育」を専攻し、法学博士になっている)

29歳(1982年)で河北省正定県党委員会副書記になり、32歳(1985年)で福建省廈門市党委員会常務委員と副市長に任命されます。

結婚は意外と遅く、34歳(1987年)頃に歌手の彭麗媛と結婚しました。

その後、福州市党委員会副書記,福建省省長を経て、50歳(2003年)で浙江省党委員会書記となります。

54歳(2007年)で上海市の党委員会書記に就任。その後、中国共産党中央政治局の常務委員(当時は 9人)に選ばれました。

この頃、中央書記処書記、中央党校校長を兼任しています。

2008年3月に国家副主席になりました(中央書記処書記/中央党校校長を兼任)。

2010年10月(57歳)でさらに、中央軍事委員会副主席となりました(他の役職は継続)。

58歳(2012年11月)で中央政治局常務委員に再選されると、胡錦濤の後継者として総書記と党中央軍事委員会主席の役職を得ました。

李克強(首相)

1955年7月に生まれたので、現在は62歳です。

国務院総理は日本で言えば首相に相当し、主に国内政治を司ります。

出身地(元籍地)は安徽省定遠県。習近平と同じ文化大革命の世代なので、18歳から22歳の頃(1974年3月~1978年3月)に安徽省鳳陽県大廟公社で働かされています。

季首相の経済政策は構造改革を目指すもので、「リコノミクス」と名付けられましたが、途中から習近平と王岐山の力が強くなり、現時点では政権発足当初ほどの影響力はないとも言われています。

1976年5月に中国共産党に入党し、21歳の頃に大廟公社大廟生産大隊党支部書記となります。

文化大革命が終わった頃、22歳(1978年3月)で北京大学法律系(法学部)に入学。在学中は全校学生会責任者を務めました。26歳(1982年2月)に卒業し、法学学士号を修得しています。

この頃、共青団委員会書記や共青団中央委員会常務委員、共青団中央書記処書記兼全国青年連合会副主席といった役職についています(前国家主席の胡錦涛も、この頃、共青団で活動していました)。

31歳の頃、全国青年連合会副主席を兼任したまま、1988年9月から1994年12月まで北京大学経済学院経済学専攻大学院に学んでいます(経済学修士号・博士号を取得)。

結構、若い頃は大学で長い時間を費やしています。

その後、政治家となりました。43歳から48歳ごろまで、黄河洪水防止総指揮部総指揮を兼任しています。

  • 98~99年(43~44歳):河南省党委員会副書記・省長代行
  • 99~02年(44~47歳):河南省党委員会副書記・省長
  • 02~03年(47~48歳):河南省党委員会書記・省長
  • 03~04年(48~49歳):河南省党委員会書記・省人民代表大会常務委員会主任
  • 04~05年(49~50歳):遼寧省党委員会書記
  • 05~07年(50~52歳):遼寧省党委員会書記・省人民代表大会常務委員会主任
  • 07~08年(52~53歳):党中央政治局常務委員
  • 08~12年(53~57歳):党中央政治局常務委員/国務院副総理等
  • 13年3月以降:党中央政治局常務委員、国務院総理

栗戦書(中央弁公庁主任)

中央弁公庁主任は、国家主席の首席補佐官です。

他の役職としては、中央国家安全委員会弁公室主任、中央直属機関活動委員会書記を兼務しています。

栗戦書(りつせんしょ/リイ・ジャンシュウ)は1950年8月30日に河北省平山県に生まれました。

「戦書」という名は国共内戦で死んだ叔父から届いた手紙にちなんでいます(栗戦書は叔父を尊敬)。

父親の栗政修は共産党の中堅幹部であり、栗戦書は太子党に属しています。

1971年から1972年に河北省石家荘地区財貿学校にて物価について学び、石家荘地区商業局に勤務しました。1975年(25歳)に中国共産党に入党。

82年に胡耀邦党主席に「『社会主義はすばらしい』という歌を歌おう」という手紙を出し、それが『人民日報』に掲載されたことがきっかけで、83年には石家荘市無極県の書記となります。

習近平が20代の頃、初めて地方に赴任したのは河北省正定県でしたが、栗はその隣で無極県のトップを務め、当時の習からは兄貴分として慕われています。

  • 83~85年(33~35歳):河北省無極県党委員会書記
  • 86~90年(36~40歳):共青団河北省委員会書記
  • 92~94年(42~44歳):中央党校通信教育学院で経済を専攻

93~98年には河北省党委員会常務委員を務め、93~97年に秘書長、98年に農村工作指導グループ副組長等を歴任しています。

  • 98~02年(48~52歳):陝西省党委員会常務委員、農村工作指導グループ副組長・弁公室主任等を歴任
  • 00~03年(50~53歳):西安市党委員会書記
  • 03~07年(53~57歳):黒竜江省党委員会副書記

その後、副省長、省政府党組副書記に就任。

  • 07~08年(57~58歳):黒竜江省長代理
  • 08~10年(58~60歳):黒竜江省長
  • 10~12年(60~62歳):貴州省常任委
  • 12年:貴州省書記/中央委員候補
  • 12年7月:貴州省から離れ、中央弁公庁主任に就任

栗戦書は習近平が国内視察や外遊を行う際には例外なくつき従う腹心中の腹心だと言われています。

栗戦書は胡錦涛側近の令計画がスキャンダルで中央弁公庁主任を追われた時に後任となりました。中央弁公庁主任に就任した時には、秘書らに習近平への絶対の忠誠を要求したともいわれています。

この頃、習を別格の最高指導者に位置づけるために活動していました。

今回の中国共産党大会を前にして、朝日新聞(2017/10/12:1面)は、習近平が栗戦書を腐敗を取り締まる党中央規律検査委員会トップの書記に任命する方針を固めたと報じています。王岐山の後任に栗戦書を充てることで反腐敗運動を継続する方針を固めたわけです。

汪洋(国務院副総理)

汪洋(おうよう ワンヤン)は1955年3月に安徽省宿州市の貧しい家の三男として生まれました(現62歳)。

早くに父を病気で失い、中卒で故郷の食品工場で働いていた汪洋は、1975年に中国共産党に入党しました。

1976年に安徽省の幹部候補生学校の教員となり、その後、党委員会委員に就任。

1979年に中国共産党中央党校理論宣伝幹部班に抜擢され、出世の機会をつかみます。北京の中央党学校の幹部養成コースでの研修中に胡錦濤と知り合い、胡の側近の一人に名を連ねたのです。

その経歴は以下の通りです。

  • 81年(26歳):共青団省委宣伝部長
  • 83年(28歳):共青団省委副書記
  • 88年(33歳):銅陵市長に就任
  • 92年(37歳):南巡中の鄧小平と会い、改革構想を評価された。
  • 93年(38歳):安徽省副省長(当時、全国最年少)。
  • 95年(40歳):中国科学技術大学で工学修士号を取得
  • 99年(44歳):朱鎔基内閣で国家発展計画委員会副主任。
  • 03年(48歳):国務院副秘書長。国家機関党組副書記、国務院三峡工程建設委員会委員
  • 05年(50歳):重慶市党委書記
  • 07年(57歳):「二階級特進」で中央政治局委員。広東省党委員会書記

広東省党委員書記になれたのは胡錦濤の抜擢によるものです。広東省時代には待遇改善を求める労働者のストライキを黙認。経済改革路線を取り、これは薄熙来の「重慶モデル」と比べて「広東モデル」と呼ばれました。

当時、汪洋は「騰篭喚鳥」(鳥かごの中を空にし、別の鳥と入れ替える)と称して、欧米の景気後退による輸出減対策を訴えました。旧来型の企業が持っている工場や設備の限界を認め、高付加価値のハイテク企業を誘致する政策を打ち出したのです。汪洋は「立ち遅れた企業の救済は行わない」と宣言して物議をかもし、温家宝総理と対立しましたが、胡錦涛が汪洋を支持し、勝利を勝ち取りました(遠藤誉『チャイナ・ナイン』P126~127)。

汪洋は胡錦涛派で、広東省書記職を2012年12月に胡春華に譲り退任。2013年(63歳)に国務院副総理(副首相)に就任しています(貿易・通称を担当)。

習近平の政敵だった薄煕来とは経済政策を巡る論争も行いました。

共青団出身で「改革派」ですが、4月の米中首脳会談では習近平に同行し、米中包括経済対話では中国側の責任者となりました。

王滬寧(中央書記局書記)

中央書記局書記のほか、中央政策研究室主任と中央改革全面深化指導グループ弁公室主任を兼務しています。

王滬寧(おうこねい/ワンフーニン)は1955年10月6日に生まれました。

出身地は山東省莱州市です。

現在、62歳で習近平のブレーンを務めており、「中南海シンクタンク」との異名を持っています。

政治家というよりは、学者・研究者です。

華東師範大学外国語学部仏文学科を卒業。その後、上海社会科学院を経て1981年(26歳)で復旦大学で国際政治を専攻(法学修士)。

その後、復旦大学国際政治系で講師⇒副教授⇒教授を歴任。

1989年(34歳)に国際政治系主任(研究科長)、1994年(39歳)で法学院長となりました。1988~89年にはアイオワ大、カリフォルニア大バークレー校で客員研究員を務めます。

政治的には、以下の経歴を辿ります。

  • 84年4月(29歳):入党
  • 95年(40歳):党中央政策研究室政治グループ長
  • 98年(43歳):同研究室副主任
  • 02年(47歳):同主任
  • 07年(52歳):中央書記処書記

元々は復旦大学の教授(国際政治)でしたが、1995年に江沢民率いる上海閥の引きを得て党中央政策研究室に入り、政治の道を入りました。

江沢民政権での「三つの代表」、胡錦濤の「科学的発展観」などの重要理論の起草に関与し、歴代政権のブレーンを務めています。

元々、欧米の民主主義モデルが中国に入り込むことを警戒しており、「中華民族の偉大なる復興」「中国の夢」というスローガンの起草にも関わりました。

政治家となってからは日本人の知己との交流が疎遠になったようです。

趙楽際(中央規律検査委書記)

中央紀律検査委員会書記と中央組織部部長を兼務しています。

趙楽際(ちょうらくさい)は1957年3月に青海省西寧市で生まれました(本籍地:陝西西安)。1975年(18歳)の時に共産党に入党。1980年に北京大(哲学を専攻)を卒業し、商業庁や政治処宣伝部、青海省商業学校教員、同教務処副主任等で働きます。

1984年(27歳)から1986年(29歳)まで青海省五金交電化工公司の党委員会書記となり、その後、現場の管理職を兼任。1986年に商業庁に戻り、副庁長と財貿工会主席も兼ねました。

1996~98年には中国社会科学院大学院で貨幣と銀行について学び、その後、青海省省長補佐、省財政庁庁長、副省長を歴任。

(※2002~05年には共産党中央党校にて政治学を専攻)

その後、さらなる出世コースに入って行きます。

  • 97年(40歳):青海省副書記、西寧市市委員会書記
  • 99年(42歳):青海省代理省長
  • 00年(42歳):青海省省長に就任(1月~)
  • 03年(46歳):青海省委員会書記
  • 07年(50歳):陜西省委員会書記(省人民代表大会常務委員会主任を兼任)
  • 12年(55歳):政治局委員に選出(中央書記処書記兼中央組織部部長)

今後は王岐山氏の後任となり、中央規律検査委員会書記に就任するとみられています。2007年に陝西省に転身した時に習氏と関係をつくり、出世の道に入りました。

党中央組織部長としては党人事を仕切っています。

陝西省なまりで話は上手ではなく、多弁家が嫌いな習氏にそこが気に入られたそうです(メディアの取材を受けない)。

韓正(上海市党委員会書記)

現在、中国共産党中央政治局委員、党上海市委員会書記を務める韓正(かんせい/ハン・ツェン)は 1954年4月に上海市で生まれました。

21歳から26歳まで上海にて倉庫管理員や販売事務員を務め、1979年(25歳)に共産党に入党します。
社会人になってから学歴を補い、以下の三つの学校を卒業しました。

  • 85年(31歳):復旦大学大専班(短大相当)
  • 87年(33歳):華東師範大学夜間大学(専科大学)
  • 94年(40歳):華東師範大学国際問題研究所(大学院相当)

そして、26歳から35歳までの間に、上海市で化工装備工業公司幹事、化工局共青団委員会書記、化工専科学校党委員会副書記、ゴム靴工場副工場長等を歴任。

その後、政治の世界で次第に頭角を現していきます。

  • 90~91年(36~37歳):共青団上海市委員会副書記
  • 91~92年(37~38歳):共青団上海市委員会書記
  • 92~93年(38~39歳):党上海市盧湾区委員会副書記/盧湾区人民政府代理区長
  • 93~95年(39~41歳):党盧湾区委員会副書記/盧湾区人民政府区長
  • 95~97年(41~43歳):上海市人民政府副秘書長⇒市人民政府総合経済工作委員会副書記
  • 97~02年(43~48歳):党上海市委員会常務委員。同市人民政府副秘書長。
  • 98~03年(44~49歳):上海市人民政府副市長
  • 03~12年(49~58歳):上海市長。上海万博開催に尽力
  • 07~12年(50~58歳):中国共産党上海市委員会副書記

2010年の「上海万博」の成功が政治的功績と見なされています。

12年12月26日から党中央政治局委員。党上海市委員会書記。韓正は江沢民率いる「上海閥」の拠点である上海市のトップです。

現在は、習政権が目指す「一帯一路」構想の実現に取り組み、今の体制への忠誠心を示しています。 党大会出席時には北京に向かう時、習氏のスローガンにちなむ「復興号」の高速鉄道への乗車を宣伝しました。

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退任する政治局常務委員の経歴

張徳江(前・全人代常務委員長)

張徳江は1946年11月生まれなので、現在、71歳です(遼寧省台安県出身)。

全人代常務委員会委員長というのは、中国の”議会”である全人代常務委員長(中国共産党序列3位)です。

父親の張志毅は共産党の高名な軍人でした。

文化大革命期に労働を強いられ、1971年1月(24際の頃)に中国共産党に入党しています。72年に吉林省王生県革命委員会宣伝部幹部として、党員としての経歴が始まりました。

1972~1975年に延辺大学で朝鮮語を専攻し、1978~1980年に朝鮮・金日成総合大学経済学部に留学しました。

延辺大学は朝鮮族が多い吉林省にある大学です。その後、北朝鮮留学中に江沢民と親しくなったとも言われています。。

在学中も大学にある共産党組織の要職(延辺大学朝鮮語学部党総支部副書記や大学党委員会常務委員・革命委員会副主任、延辺大学党委員会常務委員・副学長等)を歴任しています。

卒業後は吉林省を基盤に活動を展開していきます。

  • 83~85年(37~39歳):吉林省延吉市党委員会副書記
  • 85~86年(39~40歳):吉林省延辺州党委員会副書記
  • 86~90年(40~44歳):民政部副部長、民政部党組副書記
  • 90~95年(44~49歳):吉林省党委員会副書記兼延辺州党委員会書記
  • 95~98年(49~52歳):吉林省党委員会書記、同省人民代表大会常務委員会主任

その後、浙江省や広東省で働き、中央政治局入りしました。浙江省や広東省への転出は辺境から上海周辺の経済繁栄区への栄転でした。これは江沢民の意図があっての人事です。張は江沢民派の人材とみなされています。

  • 98~02年(52~56歳):浙江省党委員会書記
  • 02~07年(56~61歳):中央政治局委員、広東省党委員会書記

広東省では珠海デルタ三角地帯の発展のための事業等に関わっています。

  • 07~08年(61~62歳):中央政治局委員
  • 08~12年(62~66歳):中央政治局委員、国務院副総理・党組メンバー
  • 12~13年(66~67歳):中央政治局常務委員、国務院副総理・党組メンバー

政治局委員時代には、悪名高い、11年7月の新幹線温州大事故の「後処理」にも関わっています(名目上は事故処理の責任者だったが、実質は温家宝が対処)。

2012年、汚職でクビになった政治局委員・薄熙来の後釜として重慶市党委員会書記に就任。そこで薄派を一掃して最高指導部に入ります。

2013年に第12期全人代常務委員会委員長となりました。

兪正声(前・人民政治協商会議主席)

兪正声(ゆせいせい)は浙江省紹興県で1945年4月に生まれました(現73歳)。

政治協商会議というのは、中国政治の要職者への助言機関です。立法でも行政でもなく、諮問機関とされています。いわば諮問機関の長をしているわけです。

エンジニア出身の兪正声は「機械工業閥」に属しています。

父親は初代天津市市長の兪啓威。太子党の一員です。

現在、72歳なので、次期常務委員を続けることは考えにくい年齢です。

18歳~23歳(1963年~1968年)までにハルビン軍事工程学院ミサイル工学部弾道ミサイル自動制御学科で学び、その後、1964年11月に中国共産党に入党しました。

兪正声はまず、エンジニアとして経歴を重ねてきました。

  • 68~75年(23~30歳):河北省張家口市橋西無線電信工場技術者。
  • 75~81年(30~36歳):第四機械工業部電子技術普及応用研究所(エンジニア)
  • 81~82年(36~37歳):同上(アシスタントチーフエンジニア)

1982~84年にかけては、電子工業部電子技術普及応用研究所副所長、電子工業部計算機工業管理局系統二処処長、アシスタントチーフエンジニア兼マイクロコンピュータ管理部主任、電子工業部計画司副司長など、様々な要職を手歴任しています。

その後、84~85年に年金基金の責任者(中国障害者福祉基金責任者)となり、山東省で政治家としての人生を開始しました(この基金のトップは鄧小平の息子。ここで鄧一族とのつながりを得た)。

  • 85~92年(40~47歳):山東省煙台市党委員会副書記
  • 87~94年(42~49歳):山東省煙台市市長
  • 92~97年(47~51歳):山東省党委員会常務委員

97~98年に建設部党組織書記兼次官となり、98~01年に建設部長と建設省党組織書記を務めています。

その後、中央政治局入りしました。07年~12年まで上海市委員会書記を務め、上海万博の開催に携わりました。

  • 01~02年(56~57歳):湖北省党委員会書記
  • 02~07年(58~62歳):中央政治局委員、湖北省党委員会書記
  • 07~13年(62~67歳):中央政治局委員
  • 07~08年(62~63歳):上海市委員会書記
  • 08~12年(63~66歳):上海市党委員会書記(※上海万博に携わる)
  • 13年~(67歳~):中央政治局常務委員、第12期全国政協主席

湖北省から繁栄の中心地である上海市党書記に異動。これは江沢民の意向を受けた栄転でした。

劉雲山(前・党書記局書記)

現在、中央政治局常務委員、中央書記処書記、中央党校校長を務めています。

党書記局書記は主に日常業務の指導・管理を司っています。

劉雲山(りゅううんざん : リウユンシャン)は山西省出身で1947年7月に生まれました(現70歳)。

胡錦濤派と江沢民派の双方とも良好な関係を持っていましたが、習政権が発足してからは習派に近づきました。

中央党校校長を経て、その後、ネット検閲や言論統制を主導(息子の劉楽飛はファンド運営者)。

64~68年に内モンゴル自治区集寧師範学校で学びし、23歳の頃(1971年4月)に中国共産党に入党。

内モンゴルの地で経歴を重ねています。1981年(34歳頃)と1989~92年(42~45歳頃)に中央党校で学んでもいました。そのご縁が中央党校校長という今の役職にもつながっているのでしょう。

内モンゴル自治区での地方政府と共産党での役職は以下の通りです。

  • 68~69年(21~22歳):トゥムド左旗把什学校教師
  • 69~75年(22~28歳):トゥムド右旗旗党委員会宣伝部幹事。
  • 75~82年(28~35歳):新華社通信内モンゴル支社農牧班記者、副班長等
  • 82~84年(35~37歳):共青団内モンゴル自治区委員会副書記、党組織副書記
  • 84~86年(37~39歳):共産党委員会宣伝部副部長
  • 86~92年(39~45歳):共産党委員会常務委員
  • 92~93年(46~47歳):共産党委員会副書記兼赤峰市共産党委員会書記

1982年には内モンゴル自治区の共青団副書記となり、その後、宣伝関連の役職を重ねています。

  • 93~97年(47~51歳):中央宣伝部副部長
  • 97~02年(51~56歳):中央宣伝部にて正部長相当。中央精神文明建設指導委員会弁公室主任
  • 02~12年(56~66歳):中央政治局委員、中央書記処書記、中央宣伝部長。

そして、2012年に中央政治局常務委員に就任しました。

約30年間、宣伝に携わり、1997年の香港返還式典における江沢民の挨拶等を執筆してもいます。

メディア統制やネット検閲の責任者を務め、広東省の『南方週末』の社説改竄事件(2013年1月)等の弾圧事件を指揮したとされています。

王岐山(前・党中央規律検査委書記)

王岐山(おうきざん / ワンチーシャン)の党内序列は6位ですが、習近平総書記の盟友で、実質的なナンバー2と見られています。王は習の意向をくみ、虎もハエも叩く「反腐敗闘争」の責任者となり、2000人以上を摘発しました。

「打虎隊長」の異名を得るほど、多くの政敵を倒し、習政権を支えてきたわけです。

そのため、党内では怨嗟の声が高まり、ここ4年間で王の暗殺未遂事件が27回(武器や車両で17回/毒物が10回)も起きているともいわれています(産経1面:2017/8/29)。

王は経済・金融に明るい政治家なので、欧米からは首相就任が期待されていました。中国アナリストの遠藤誉氏は「アメリカでは国際経済あるいは金融に通じた中国政府の要人として王岐山の名前が出ることはあっても、李国強の名前が出ることはまずない」(『チャイナ・ナイン』P117)と述べています。

また、危機管理能力に秀でているため、「消火隊長」とも呼ばれました。SARSショックで北京市長が辞任した時や、北京五輪、上海万博で準備が行き詰まった時に指導力を発揮しています。

王岐山は元副首相の娘である姚依林(よういりん:1917―1994)と結婚し、出世の糸口をつかみました(「太子党」にも名を連ねた)。

現在、王岐山は汚職調査などを担当する党中央規律検査委員会の頂点に立っています。

王岐山は1948年に中国山西省に生まれたので、現在は69歳。現行規定のままでは常務委員の年齢規定(68歳定年)にひっかかってしまいます。そのため、今回の人事でその去就が注目されました。

王は高校卒業後、陝西省延安県の農村部にて約2年間、農作業を行っていました。この地域は習近平の下放(シャーファン)先である延川県と近いので、この頃から2人には交流がありました。

王は20歳の頃、陝西省延安の農村で15歳の習と知り合い、当時の習を洞窟式の住居に泊めたともいわれています。

学歴を見ると、1973年(25歳)の頃に西北大学歴史学部に入学し、卒業後は中国社会科学院近代歴史研究所にて中華民国史などを研究しています。

政治指導者としての経歴は以下の通り。

  • 88年(40歳):中国農村信託投資公司総経理・党委員会書記に就任
  • 89年(41歳):中国人民建設銀行副行長(副頭取)
  • 93年(45歳):中国人民銀行(※中央銀行)副総裁
  • 95年(47歳):中国国際金融有限公司の設立を主導
  • 96年(48歳):中国建設銀行行長・党組書記に就任。
  • 97年(49歳):アジア金融危機時に建設銀行改革を断行。「中国共産党随一の経済実務家」と評された
  • 97年(49歳):広東省党委員会常務委員
  • 98年(50歳):広東省常務副省長。金融危機への対処を続ける。
  • 00年(52歳):経済手腕を評価され、国務院経済体制改革弁公室主任・党組書記
  • 02年(54歳):党中央委員に昇進。11月に海南省党委書記と同省人民代表大会常務委員会主任を兼任
  • 03年(55歳):北京市党委副書記。SARSに対処した「消火隊長」。
  • 04年(56歳):北京市長に就任。08年開催の北京オリンピックを準備。
  • 07年(59歳):10月に党中央政治局委員に選出
  • 08年(60歳):国務院副総理(商務、金融、市場管理、観光を担当)。リーマンショック時に「4兆元の景気刺激策」を断行
  • 12年(64歳):党中央政治局常務委員、党中央規律検査委員会書記に選出
  • 13年(65歳):党中央規律検査委員会書記に就任して反腐敗の闘争を展開

習近平政権で汚職取り締まり担当となった際には、お金の裏側を知っている強みを生かし、地方官僚、金融界、大国有企業幹部、大臣等に反腐敗闘争の枠を広げました。

日経電子版(2017/9/22)によれば、王岐山は体調不良等を理由に10月の共産党大会で退任する意向を周囲に伝えており、習近平が68歳退任は明文ルールではないとして慰留しているようです。王岐山は、米国に逃れた富豪である郭文貴から「王氏の妻ら親族と複合企業の海航集団との「癒着」を批判」されていますが「習指導部は郭氏の主張する問題は党内情勢に影響しないとの立場を示した」(関係者)と報じられています。

同記事は、王が退任した場合「「習氏が人事を押し切れなかった」との認識が党内に広がる」可能性を報じています。「栗氏や陳氏は王氏に比べれば中央での経験や実績が乏しく、王氏の代わりが務まるかは不透明」だからです。

(「王岐山氏が退任の意向 中国の反腐敗指揮、習氏は慰留」

王岐山氏は引退すると言われながらも、9月には、訪中したシンガポールのリー首相と会談したり、スティーブン・バノン前首席補佐官と北京で密談したりしています。

活発に活動しているので、本当に引退するのかどうかが疑われているわけです。

張高麗(前・筆頭副首相)

張高麗(ちょうこうれい / ジャンガオリー)は1946年11月に福建省晋江県に生まれました(71歳)。

 筆頭副首相は国務院常務副総理の中で筆頭にあたる要職です。

現在、中央政治局常務委員、党組副書記も務めています。

1965年から70年に廈門大学経済学部計画統計学科で学び、1973年に共産党に入党。

江沢民派のメンバーですが、習近平にも近く、広東省の国有系石油会社に就職し、社長まで出世しました。

張は巨大派閥である「石油閥」の実力者で、もともとは中国石油化工集団(シノペックグループ)の幹部でした。

石油部広東茂名石油公司での経歴は以下の通りです。

  • 70~77年(24~31歳):生産指揮部弁公室秘書。共青団総支部委員会書記、公司共青団委員会副書記等
  • 77~80年(31~34歳):製油所第一作業場党総支部委員会書記。製油所党委員会副書記(後に書記)
  • 80~84年(34~38歳):(石油公司)党委員会常務委員、計画処処長。副経理

その後、広東省政府での経歴を積み重ねています。

  • 84~85年(38~39歳):広東省茂名市党委員会副書記、中国石化総公司茂名石油工業公司経理
  • 85~88年(39~42歳):広東省経済委員会主任、党組織書記
  • 88~93年(42~47歳):広東省副省長。93年に省計画委員会主任や党組織書記を兼任
  • 94~98年(48~52歳):広東省党委員会常務委員
  • 97~01年(53~55歳):深セン市党委員会書記
  • 98~02年(52~56歳):広東省党委員会副書記
  • 01~03年(55~57歳):山東省省長
  • 02~07年(56~61歳):山東省党委員会書記
  • 03~07年(57~61歳):山東省人民代表大会常務委員会主任
  • 07~12年(61~66歳):天津市党委員会書記
  • 12年~(66歳~):中央政治局常務委員
  • 13年~(67歳~):国務院副総理、党組副書記

党委員会書記を務めた天津市は精製・石油化学の拠点です。

天津市で党書記を務めた頃は「天津台湾名品博覧会」を開催し、台湾との交流に力を入れました。

最高指導部入りしなかった有力候補

次期政権で昇格の可能性が噂された二名の経歴をみてみます。

陳敏爾(重慶市党委書記)

陳敏爾(ちん・びんじ)は1960年に浙江省紹興市に生まれました(56歳)。

習近平が2002年に浙江省長だった頃、陳氏は省宣伝部長を務めています。

2012年(52歳)の第十八回党大会以後、浙江省副省長、浙江省共産党常任委員会副書記を経て、2015年(55歳)には貴州省共産党書記となりました。そして、2017年には重慶市のトップ(市党委員会書記)だった孫政才が失脚し、陳敏爾が後任に起用されています。

陳は習近平にとってはかつての部下なので、その信頼が厚く、このたび飛び級による常務委員入りの可能性が指摘されています。

貴州省は「最も貧しい省」とも言われるため、貧困対策に力を入れていました。

もともと陳敏爾は浙江省生まれ、寧波、紹興などで地方行政を担当しています。

そこで頭角をあらわし、習近平の目に止まったわけです。

習が浙江省書記の時代、陳敏爾は同省党委員会宣伝部長の地位にあって、習近平の演説草稿や寄稿文の代筆をしていました。

習近平が陳敏爾を政治局員に上げたのは、2022年の第二十回党大会を視野に入れた人事だと見られています。

陳は現在、党内に200人いる中央委員の一人でしかありませんが、党大会で常務委員となれば、二段飛びの大出世となります。

習は、陳を共青団の人材と伍させ、習派の若い有力人材として養成しようと考えているわけです。

そして、10月18日の党大会開幕以降、陳が抜擢され、最高指導部入りするかどうかが注目されています。

陳はこの大会で10分ほど習近平の政治報告を讃え、歴史的な成果を出せたのは、習近平を「核心」として「党中央の強力な指導」を得ることができたためだと述べていました。

胡春華(広東省党委書記)

胡春華(こしゅんか:フー・チュンフア)は1963年4月に中国湖北省五峰県に農民の子供として生まれました。
1983年に20歳で北京大学中国語学科を卒業(飛び級で16歳入学をしている)。

その後、共青団チベット自治区委員会組織部で働き、副書記から書記にまで出世。97年にはチベットを離れて共青団中央書記所書記、98年に中華全国青年連合会の副主席となりました。

98~99年に中共中央党校大学院で世界経済を学んでいます。

胡春華が共青団チベット自治区委員会で副書記をしていた頃の自治区書記は胡錦濤です。また、96年以降に中央党校で学んだ時の校長も胡錦濤なので、そのつながりには根深いものがあります。

こうした経緯から、胡春華は中央とチベットを行ったり来たりしています。

  • 01年(38歳):チベット自治区党委常務委員
  • 03年(40歳):チベット自治区党委副書記
  • 06年(43歳):共青団中央書記所第一書記
  • 07年(44歳):中共中央委員会委員
  • 08年(45歳):河北省党委員会副書記に就任
  • 09年(46歳):河北省省長(最年少省長)

河北省では08年に「メラミン入り粉ミルク事件」が起き、その責任が問われたこともありました。

09年11月に内モンゴル自治区党委員会書記に就任しましたが、この時も「蒙牛乳業」による汚染物質入り食品事件が起きましたが、8年連続で中国で最も高くGDPを伸ばしたことが評価され、12年11月15日には、第18回党大会後の中央委員会で、49歳で中央政治局委員に選ばれました。

2012年12月には、汪洋の後任として、中国経済のエンジン役である広東省の党委書記に任命され、現在に至っています。

胡春華は2017年10月18日に開幕した党大会でも最高指導部入りの可能性が高いと見られています。しかし、胡春華は習近平の政治思想について「人々の心を奮い立たせる」等と述べはしたものの、胡錦濤前総書記が後見人となっているため、できる限り習近平への礼賛を控えています。

記者の質問に対して、胡春華は、習近平から今年初めに「小康社会」の実現のために国内で先頭を走るようにと言われたと答えていました。

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