世界の指導者一覧 首相や大統領の略歴 (2024年版)
G20を中心に、世界の指導者の経歴などを整理します。
G7やBRICs、ASEANの国々も含めて、主要国の大統領や首相を重点的に紹介してみます。
- 1. 米国:バイデン大統領の略歴
- 2. 日本:岸田首相の略歴
- 3. 中国:習近平総書記の略歴
- 4. インド:ナレンドラ・モディ首相の略歴
- 5. ロシア:プーチン大統領の略歴
- 6. ドイツ:オラフ・ショルツ首相の略歴
- 7. フランス:マクロン大統領の略歴
- 8. イギリス:キア・スターマー首相の略歴
- 9. イタリア:ジョルジャ・メローニ首相の略歴
- 10. スペイン:ペドロ・サンチェス首相の略歴
- 11. オランダ:マルク・ルッテ首相の略歴
- 12. ウクライナ:ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の略歴
- 13. カナダ:ジャスティン・トルドー首相の略歴
- 14. オーストラリア:アンソニー・アルバニージ首相の略歴
- 15. ニュージーランド:クリス・ヒプキンス首相の略歴
- 16. 台湾:頼清徳総統の略歴
- 17. 韓国:尹錫悦 大統領の略歴
- 18. 北朝鮮:金正恩・朝鮮労働党委員長
- 19. ミャンマー:アウンサン・スーチー国家顧問の略歴
- 20. ベトナム:トー・ラム国家主席の略歴
- 21. ラオス:トーンシン首相の略歴
- 22. タイ:ペートンタン首相の略歴(準備中)
- 23. カンボジア:フン・セン首相の略歴
- 24. マレーシア:ムヒディン・ヤシン首相の略歴
- 25. シンガポール:リー・シェンロン首相の略歴
- 26. フィリピン:ボンボン・マルコス大統領の略歴
- 27. インドネシア:ジョコ・ウィドド大統領の略歴
- 28. イスラエル:ネタニヤフ首相の略歴
- 29. サウジアラビア:サルマン国王の略歴
- 30. エジプト:シシ大統領の略歴
- 31. トルコ:エルドアン大統領の略歴
- 32. イランの指導者
- 33. イラク:アバディ首相の略歴
- 34. アフガニスタン:ガニ大統領の略歴(*亡命中)
- 35. 南アフリカ:シリル・ラマポーザ大統領
- 36. ブラジル:ルーラ大統領の略歴
- 37. アルゼンチン:ハビエル・ミレイ大統領の略歴
- 38. ベネズエラ:マドゥロ大統領
- 39. メキシコ:ロペスオブラドール大統領
米国:バイデン大統領の略歴
本名はジョセフ・ロビネット・バイデン・ジュニア(Joseph Robinette Biden, Jr.)。
- 42年:11月20日にペンシルベニア州スクラントンに出生
- 65年:デラウェア大で学び、その後、シラキューズ大で法務博士号を取得
- 70年:ニューキャッスル郡議会議員
- 72年:デラウェア州上院議員
- 87~95年:上院司法委員会委員長
- 01年:上院外交委員会委員長就任(02年のイラク戦争承認決議を支持)
- 09~17年:副大統領
- 21年:第46代アメリカ合衆国大統領に就任予定
日本:岸田首相の略歴
岸田文雄氏は1957年7月29日に東京都に生まれました。
父(岸田文武氏)は広島県出身の衆議院議員(通産省官僚出身)でしたが、東京で育ち、63年には父の海外赴任に伴い、ニューヨーク市に居住。3年ほど現地の公立小学校に通学。66年にパブリックスクール3年次を修了して帰国。
その後、73年に開成高校に入学(※のちに開成OB官僚を率いる開成会の「永霞会」を主催)。
78年に早稲田大学法学部に入学。79年には父の衆院選を手伝いました。
82年に卒業し、日本長期信用銀行に入行。87年に退職し、岸田文武衆院議員の秘書となり、政界入りの準備を始めます。
その後の経歴は以下の通りです。
- 93年:衆議院議員に初当選
- 94年:自民党財政副部会長
- 96年:自民党内閣・商工副部会長
- 97年:自民党商工部会長代理
- 99年:建設政務次官
- 00年:自民党商工部会長
- 01年:自民党経理局長
- 01年:文部科学副大臣
- 03年:自民党経理局長
- 05年:衆議院厚生労働委員長
- 07年:沖縄・北方・再チャレンジ担当大臣(第1次安倍内閣)
- 07年:沖縄・北方・国民生活担当大臣(福田内閣、再任)
- 11年:自民党国会対策委員長
- 12年:外務大臣(12年12月~17年8月まで)
- 17年:防衛大臣を兼務(7月28日~8月3日)
- 17年:8月に自民党政務調査会長に就任(兼日本経済再生本部長)
- 21年:自民党総裁に就任(9月末)
- 21年:内閣総理大臣(10月1日)
中国:習近平総書記の略歴
習近平(シージンピン/しゅうきんぺい)は共産党総書記と国家主席、党中央軍事委主席等を兼ねる中国の指導者。
(※「総書記」=共産党の長、「国家主席」=中華人民共和国の顔、「党中央軍事委員会主席」=人民解放軍の長(中国軍は共産党の軍)。
その歩みは以下の通り。
- 53年6月:出生(現64歳。原籍地は陝西省富平県)。
- 69年:陝西省に送られ6年ほど農作業などの肉体労働を行う(下放された)。
- 74年:中国共産党に入党
- 75年:22歳頃に清華大学化学工程学部に入学(その後、国務院副総理の秘書を3年務めた)
- 82年:29歳で河北省正定県党委員会副書記
- 85年:32歳で福建省廈門市党委員会常務委員/副市長
- 87年:歌手の彭麗媛と結婚(34歳頃。その後、福州市党委員会副書記,福建省省長を歴任)
- 03年:50歳で浙江省党委員会書記。
- 07年:54歳で上海市党委員会書記に就任。その後、党中央政治局常務委員になる。
- 08年:55歳で国家副主席となる(中央書記処書記/中央党校校長を兼任)。
- 10年:57歳で中央軍事委員会副主席に(他の役職は継続)。
- 12年:胡錦濤の後継者として総書記と党中央軍事委員会主席を兼任。
- 17年:第二期習近平政権が発足。
インド:ナレンドラ・モディ首相の略歴
中流家庭から一生懸命働いて出世した庶民派首相。インディアン・ドリーム(仮にそう呼びます)を実現した人物の略歴は?
- 50年:9月17日にグジャラート州ヴァドナガルにて誕生(6人兄弟の三番目。大学は政治学専攻)
- 74年:24歳頃に民族奉仕団(RSS)に入団(後、学生代表になる)
- 87年:37歳頃にインド人民党(BJP)のグジャラート州議会議員に選出
- 88年:BJPグジャラート州支部長
- 95年:BJP書記
- 98年:BJP幹事長
- 01年:51歳頃にグジャラート州首相
- 14年:64歳頃にインド首相就任
人口6000万人のグジャラート州で14年間、州首相を務めた頃には電力や水道等のインフラ整備に尽力。外資を受け入れて経済成長を実現。
行政改革や汚職を減らす取組み等を進めた。
選挙期間中には「雇用を生み出す海外直接投資を歓迎する」と繰り返し、グジャラート州の成功モデルを全国に広げることを公約。
モディ氏が掲げた「『優れた統治』と『開発』」というスローガンは、当時の国民の要望に一致していた。
日経ヴェリタス(2014/4/13:10面)は当時のインドの状況を「シン政権ではインフラ整備が停滞し、国内では、100を超える大型プロジェクトが滞っている。原因は非効率な行政だ。役人の汚職が絶えず、認可業務などの遅れはざらだ」と評している。
選挙中は1800回もの演説をこなし、首相になってからは朝5時~夜12時まで働いている。清廉潔白で真面目との風評もある。
ロシア:プーチン大統領の略歴
「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」。むき出しの筋肉を誇示するハードボイルド大統領。
『プーチン、自らを語る』によれば、不良少年だったプーチンは10歳~11歳ごろに柔道を始め、更生したという。
「柔道はスポーツではない。柔道は哲学だ」(本人談)※現在柔道六段
国際社会の「裏番長」の略歴とは。
- 52年:10月7日にレニングラード(サンクトペテルブルク)に出生(現65歳)。
- 75年:レニングラード国立大学法学部を卒業。その後、KGBに入る(冷戦末期に5年間東ドイツ勤務)
- 91年:ソ連崩壊。プーチン談「20世紀最大の地政学的悲劇」。帰国し、レニングラード国立大学で学長補佐官になる
- 94年:サンクトペテルブルク市副市長(恩師が市長をしていた。市長失脚後にモスクワへ)
- 97年3月:大統領府副長官および大統領監督総局局長
- 98年5月:大統領府第一副長官
- 98年7月:連邦保安局長官
- 99年3月:安全保障会議書記を兼職
- 99年8月:首相
(エリツィン大統領の)「『ファミリー』はプーチンのことを、権力のエンジニアではあるが、最高権力の座を狙っているわけではなさそうだ」と判断。「控えめな態度が信頼されて、プーチンはあらたな仕事を任され」た(ミヒャエル・シュティルマー著『プーチンと甦るロシア』)。
経済危機やチェチェン紛争で指導力を発揮し、エリツィン大統領の後継者になる。
- 99年8月16日:国家院の承認を受け首相に就任
- 99年12月31日:エリツィン前大統領の辞任に伴い、大統領代行に任命。
- 00年3月26日:大統領選挙で当選(得票率52.94%)
- 00年5月7日:大統領に就任(04年再選)
- 08年:プーチンは首相になり、メドベージェフが大統領になる
- 12年:大統領選に当選(18年に再選)
ドイツ:オラフ・ショルツ首相の略歴
2021年9月の総選挙で社会民主党(SPD)が第一党になり、独連邦議会は12月8日に同党を率いるオラフ・ショルツ氏を新首相に選出。
社民党、緑の党、自由民主党(FDP)の連立政権のもと、16年ぶりにSPDの首相が選ばれ、前任者のメルケル氏は退任し、政界からも引退しました。
ショルツ氏の略歴は以下の通り。
- 58年:6月14日に西ドイツのオスナブリュックに出生(両親は繊維販売業)。
- 75年:ドイツ社会民主党に入党。
- 85年:弁護士免許を取得し開業(ハンブルク大卒)
- 94~00年:ハンブルク・アルトナ地区の党代表
- 98年:ドイツ連邦議会に初当選
- 00~04年:ハンブルクのSPD代表
- 01年:ハンブルク市内相の辞任後、連邦議会議員を辞して後任につく
- 01年:党の連邦代表執行部に選出
- 02年:総選挙で連邦議会議員に再当選
- 05年:連邦議会党議員団代表代行に選出
- 07~09年:労働・社会大臣
- 11~18年:ハンブルク市長
- 18~21年:副首相兼財務大臣
長らくドイツを率い、EU加盟国を取りまとめたメルケル氏がいなくなった後、ショルツ氏がドイツの指導力を維持できるかどうかが、今後、問われることになります。
フランス:マクロン大統領の略歴
- 生年月日:1977年12月21日
- 出生地:アミアン(ソンム県)
- 学歴:パリ第10ナンテール大学(ヘーゲル哲学を専攻)⇒パリ政治学院⇒国立行政学院卒業(2002-04年)
※パリ政治学院、国立行政学院は歴代大統領や首相を数多く出した名門校
40歳で当選したマクロン氏の華麗な経歴は以下の通り。
- 04~08年:会計検査官
- 08~11年:事業銀行家
- 11~12年:ロチルド・エ・コンパニー銀行共同経営者
- 12~14年:フランス大統領府副事務総長
- 14~16年:経済・産業・デジタル大臣
- 17年:フランス大統領に当選。「前進」を下院選の過半数政党に導く。
フランスの学者ジャック・アタリ氏の推薦でオランド大統領の側近となり、閣僚入りした。
オランド政権では「マクロン法」(解雇過程の簡略化や労働時間の規制緩和、長距離バス路線の自由化等の経済改革法案)を成立させた。
イギリス:キア・スターマー首相の略歴
2024年の総選挙の結果、英労働党を率いるキア・スターマー氏が首相に選出されました。
- 62年:ロンドンで生まれる
- 85年:リーズ大学にて法学士取得
- 86年:オックスフォード大学にて民法学士取得
- 87年:人権法を専門とする法廷弁護士になる
- 08年:イングランド及びウェールズ公訴局長になる
- 15年:庶民院議員に当選
- 16年 – 20年:影の移民大臣、影の欧州連合離脱大臣
- 20年:労働党党首に選出
- 24年:総選挙で勝利し、イギリス首相に就任
イタリア:ジョルジャ・メローニ首相の略歴
「イタリアの同胞」(FDI)のジョルジャ・メローニ党首は22年10月に首相に就任し、右派系3党を主体とする連立内閣を発足させた。
FDIはムッソリーニが率いたファシスト党の流れをくみ、「極右」とも批判されるが、メローニ党首は選挙戦でファシズムとの決別を宣言。
プーチン批判やウクライナ支援にも言及していたが、政権発足後もその姿勢を続けるのかどうか、世界の主要国が注視している。
経歴は以下の通りです。
- 77年:ローマで出生
- 92年:「イタリア社会運動」に入党
- 96年:アメリゴ・ヴェスプッチ寄宿学校卒
- 00年:「国民同盟」に参加
- 04年:「国民同盟」青年団全国書記長
- 06年:下院当選、下院副議長
- 07年:「自由の人民」の結党に参加(党青年団書記長)
- 08年:第3次ベルルスコーニ政権に入閣(無任所大臣)
- 12年:「イタリアの同胞」をイグナジオ・ラ・ルッサ元国防相と結党
- 13年:下院議員に再選
- 14年:「イタリアの同胞」第2代書記長
- 16年:ローマ市長選に立候補
- 18年:下院議員に3選
- 22年:首相就任
スペイン:ペドロ・サンチェス首相の略歴
スペインは議会君主制なので、元首は国王のフェリペ6世であり、二つの議会があります。
ここは議院内閣制の国です。
(20 July 2017/Source PSOEko idazkari nagusi Pedro Sánchezekin bildu da Lehendakaria/Author:Irekia)
ペドロ・サンチェス・ペレス=カステホン(Pedro Sánchez Pérez-Castejón)氏はスペイン社会労働党(PSOE)党首。
72年:2月29日にスペインのマドリードにて出生。その後、経済学者になる(コンプルテンセ大学:経済学の学位/ベルギーのブリュッセル自由大学:経済政策の修士号/ビジネススクールのIESE:公共リーダーシップの修士号/カミーロ・ホセ・セラ大学:博士号)。
- 04年~09年:マドリード市議会議員
- 08年~:カミーロ・ホセ・セラ大学で法経済学部で教壇に立つ
- 13年:マドリード県選挙区選出の下院議員
- 14年7月:.社会労働党書記長に就任
- 16年10月:社会労働党書記長を辞任
- 17年6月:社会労働党書記長に再任
- 18年6月:首相に就任。
オランダ:マルク・ルッテ首相の略歴
(25 January 2010/Source:vvd.nl/Author:Nick van Ormondt)
マルク・ルッテ(Mark RUTTE)首相の経歴は以下の通り。
- 67年:2月14日に南ホラント州ハーグ市に出生(現41歳)
- 92年:ライデン大学歴史学部卒(オランダ史を専攻)。その後、ユニリーバ社に勤務。
- 02~04年:社会・雇用副大臣
- 04~06年:教育・文化・科学副大臣
- 06年~:自由民主国民党(VVD)党首
- 06~10年:VVD下院院内総務
- 10~12年:首相(第一次ルッテ内閣)
- 12年~:首相(第二次ルッテ内閣)
首相としては珍しく独身です。
ウクライナ:ウォロディミル・ゼレンスキー大統領の略歴
ロシアとの対立を抱えたウクライナの大統領です。
コメディアンとして活躍し、国民的な人気を得て、既存の政治家に選挙で競り勝ちました。
学歴を見ると、キエフ国立経済大学で法学を専攻しています。
ゼレンスキー氏の略歴は以下の通り。
- 78年:1月25日にクリヴィー・リフ市にユダヤ系ウクライナ人として出生(父は研究者、母はエンジニア、東部出身)。
- 97年:コメディ劇団「第95街区」を結成。番組の看板芸人となる
- 03年:「第95街区」をコメディ番組と舞台の制作会社に再編
- 06年:英ダンス番組「ストリクトリー・カム・ダンシング」のウクライナ版で脚光を浴びる
- 08年~12年:ロシアとウクライナの映画俳優として活躍
- 15年:政治風刺ドラマ「国民の僕」で主演(大統領役)
- 16年:同上第二部で主演(大統領役)
- 19年4月:大統領選で当選
- 19年5月:大統領就任
カナダ:ジャスティン・トルドー首相の略歴
イケメン首相の略歴。
- 71年:カナダのオンタリオ州オタワに生まれる(現46歳)。
- 94年:マギル大学卒(B.A. 英文学)
- 98年:ブリティッシュ・コロンビア大学卒(B.Ed. 教育学)後、教師となる。
- 08年:下院選当選。移民問題等を取扱う。
- 11年:下院選再選
- 13年:自由党党首に就任
- 15年:下院選三選
- 15年11月:首相就任
オーストラリア:アンソニー・アルバニージ首相の略歴
選挙戦では外交安保政策の継続とインフレ対策などを訴えてスコット・モリソン率いる保守連合に勝利。
その時に、「シングルマザーの息子であり、公営住宅育ちの人物が、首相として皆さんの前に立てる。オーストラリアは素晴らしい」と語りました。
- 63年:シドニー郊外のダーリングハーストにて3月2日に出生(両親はすぐに離婚したため、母と再会できたのは2009年)。
- 80年:セントメリーズカセドラルカレッジを卒業、オーストラリア・コモンウェルス銀行に就職
- 85~89年:地方政府担当大臣トム・ユーレンの政策秘書
- 95~96年:カー首相(ニューサウスウェールズ州)の上級政策顧問。
- 96年:下院議員(グレインドラー地区)
- 01年:労働党のシャドーキャビネットにて高齢者担当
- 07~13年:国土交通大臣
- 13年:労働党が下野後、党首選に立候補するも敗北
- 19年:労働党党首
- 22年:労働党が総選挙で保守連合に勝利(5月21日に首相に就任)
ニュージーランド:クリス・ヒプキンス首相の略歴
- 78年:北島のハットバレーにて出生(9月5日)。
- 96年:労働党に入党
- 01年:ワイカト大学を卒業(コミュニケーション学士)。ヘレン・クラーク元首相の事務所に勤務。
- 08年:国会議員に初当選
- 20~22年:保健相、新型コロナウイルス対策担当相。
- 23年1月:アーダーン首相の辞意表明を受け、党首選に臨む(他候補者なし)
台湾:頼清徳総統の略歴
24年の台湾総統選を制した頼清徳(らいせいとく、ライ・チントー)の略歴です。
幼少時に父親を炭鉱事故で亡くし、苦学して医師となり(国立台湾大学医学部リハビリ学科、国立成功大学学士後医学科卒)、ハーバード大に留学後(公衆衛生の修士号)、80年代に帰国して台南市にある国立成功大学医学部附属病院に内科医として勤務しました。
- 59年:10月6日に新北市で炭鉱労働者の息子として生まれる。
- 98年:立法委員に初当選(2008年まで連続当選)
- 10年:台南市長に当選
- 14年:台南市長に再選
- 17年:行政院長
- 20年:副総統
- 24年:総統選で当選
韓国:尹錫悦 大統領の略歴
「政治素人」と批判されながらも当選した尹錫悦(ユン・ソギョル)氏の略歴とは。
- 60年:12月18日にソウル特別市城北区普門洞にて出生
- 79年:ソウル大学校法学科に入学(80年と81年に兵役延期。82年に兵役免除処分)
- 91年:司法試験に合格
- 94年:検事に任用
- 13年:国家情報院の世論操作事件の特別捜査チーム長(検察首脳の反対を押し切って情報院を押収捜索した)
- 16年:崔順実ゲート事件の特別捜査チーム長
- 17年:ソウル中央地検長
- 19年:検察総長(曺国前法相の起訴を契機に文政権と対立)
- 20年:職務を執行停止されるも勝訴し復職
- 21年:3月に検察総長を辞任。
- 21年:6月末に大統領選出馬を宣言。7月末に保守系野党「国民の力」に入党
- 22年:3月の大統領選に当選
- 22年:5月10日に大韓民国第20代大統領に就任予定。
北朝鮮:金正恩・朝鮮労働党委員長
Blue House (Republic of Korea)
- 84年?:金正日総書記(北朝鮮指導者の2代目)の三男として生まれる。
- 96年:スイス留学。2000年以降の動向は謎。日本のディズニーランドに来たともいわれる。
- その後、金日成総合大学に在学。金日成軍事総合大学で軍事訓練。
- 10年9月:金正日は金正恩ら6人を朝鮮人民軍の大将に昇進させ、その後、正恩氏を事実上の後継者認定。
- 11年12月17日:金正日の後を継いだ。2011年:12月30日:朝鮮人民軍最高司令官に就任
ミャンマー:アウンサン・スーチー国家顧問の略歴
スーチー氏はミャンマーの「国家顧問」(大統領はテイン・チョー氏)。
憲法上、外国籍の親族のいる人物は大統領になれませんが(スーチー氏は2人の息子が英国籍)、国家顧問として影響力を発揮している。
ロヒンギャ問題で最近、批判が集まりつつあるスーチー氏の経歴とは。
- 45年:独立の父アウンサンの娘として6月19日に出生
- 60年:敬虔な仏教徒の看護婦だった母と共にインドに留学(政治学を学び、ネルー首相やガンジーの思想に影響を受けた)
- 64年:英オックスフォード留学(哲学・政治学・経済学を専攻)
- 72年:オックスフォード大学の研究者と結婚
- 85年:京都大学東南アジア研究所研究員
- 87年:ロンドン大学でアジア・アフリカ研究所にも在籍
- 88年:母親の病気を契機に帰国し、民主化運動に参加
- 88年:9月に国民民主連盟(NLD)を結成し、総書記に就任。
- 89年:7月に「国家防御法違反」で自宅軟禁
- 91年:3月には総書記を解任され、ノーベル平和賞を受賞
- 95年7月:自宅軟禁解除
- 00年9月:当局により地方訪問を阻止され自宅軟禁
- 02年5月:自宅軟禁解除
- 03年5月:地方遊説中、当局に拘束され、同年9月28日より自宅軟禁
- 09年5月:米国人自宅侵入事件で禁固3年。政府の特別措置で刑期を1年半に短縮、自宅軟禁措置に変更。
- 10年11月: 自宅軟禁解除
(※同氏は、父アウンサン将軍のことを詳しく知るために日本語を学んだ。80年代に2年間、英国のオクスフォード大学で日本語を学び、漢字を習得して三島由紀夫の小説を日本語で読めるまでになったとも言われる)
スーチー氏は、20年間のうち14年以上を獄中や自宅軟禁下で過ごし、11年8月にテイン・セイン大統領と会談後、12年1月に国民民主連盟(NLD)議長に就任した。
- 12年:4月の議会補欠選に当選。45議席中43議席をNLDが獲得。
- 15年:11月に民政転換後の総選挙でNLDが圧勝。
- 16年:3月に現職(※四閣僚兼務をやめ、外相と大統領府相兼務に仕事を絞った)
スーチー氏は4月22日に首都ネピドーに各国外交団を招き「全ての国と友好関係を構築する」と述べ、欧米への友好路線を打ち出す。
2021年2月にクーデターが起き、再び軍政が復活(軍政時代に副大統領、大統領代行を務めたミンスエが復権)。
スーチー氏は自宅軟禁中と報じられてきたが、6月3日に首都ネピドーの自宅から移送され、所在が不明となったとの報が出ている。
ベトナム:トー・ラム国家主席の略歴
ベトナムでは党書記長が共産党を仕切り、国家主席が軍事・外交を担い、首相は経済政策等の内政を担う。
- 57年7月10日:フンイエン省に生まれる
- 81年:ベトナム共産党に入党
- 16年 – 2024年:公安大臣を務める
- 21年:ソーシャルメディアの動画をめぐる論争に巻き込まれる
- 24年5月:ベトナム国家主席に就任
- 24年8月:ベトナム共産党総書記に選出される
ラオス:トーンシン首相の略歴
- 本名はトーンシン・タムマヴォン。
- 44年:4月12日にラオス北部のフアパン県に生まれる
- 59年:革命運動に参加した(ラオス人民革命党はフランスと戦っていた)
- 63~76年:フアパン県の中学校校長や教育省職業訓練局次長等を歴任
- 76~82年:ラオス人民民主共和国の建国後、教育省組織局長
- 82年:人民革命党中央委員
- 82~83年:党中央広報訓練委員会副委員長
- 83~88年:文化大臣
- 88年:党中央委員に選出
- 89年:最高人民議会副議長/憲法起草委員会委員
- 91年:政治局員/最高人民議会議長代行
- 92~01年:党組織委員会委員長
- 02~06年:ヴィエンチャン特別市市長兼党委員会書記
- 06年:4月に国民議会議員選で当選。6月には同議長
- 10年:12月に前任者のブアソーン・ブッパーヴァン首相が辞任。第6代首相になった
タイ:ペートンタン首相の略歴(準備中)
タイではたびたび「民政」と「軍政」の間で政権交代が繰り返される。
民政が大混乱すると軍政が台頭し、「政治的安定」を取り戻そうとする。
これは望ましいあり方ではないが、「日本や欧米とは政治文化がもともと違うので、しかたがない」と諦める人もいる。
タイでは18日にタクシン元首相の次女、ペートンタン氏が「タイ貢献党」の党首として新たな首相に就任しました。
37歳のペートンタン氏は、タイの歴代首相の中で最年少です。彼女は国王の承認を受けて正式に首相に就任し、「あらゆる意見に耳を傾け、国の発展に努める」と述べました。
前首相のセター氏は、閣僚人事に関する憲法違反で憲法裁判所により解職されました。議会下院でペートンタン氏が選出された後、彼女は国王の承認を得て首相に就任しました。タクシン元首相派と保守派の連立政権は維持される見込みですが、保守派によるけん制が続くと予想されています。タクシン氏は汚職の罪で禁錮8年の判決を受けた後、減刑され仮釈放されていましたが、国王の恩赦により正式に釈放されました。18日の就任式にはタクシン氏も出席し、影響力を強めています。
カンボジア:フン・セン首相の略歴
- 51年:4月4日にカンボジア中部コンポンチャムの農家に出生(父親は海南島出身の華人。フンセン≒雲昇?)
- 70年代:ロン・ノル政権に対抗し、北京亡命政権の下級部隊指揮官として従軍し(クメール・ルージュ軍に参加)、左目を負傷した。
- 77年:人民虐殺で悪名高いポル・ポト政権から離脱し、反ポル・ポト軍を結成し、ベトナムに亡命
- 79年:プノンペン陥落。カンボジア成立。28歳で外務大臣
- 81年:コンポン・チャム州の国会議員に当選。副首相になる。
- 84年末:チャン・シ首相が死去。フン・セン氏が85年に首相。
- 91年:フン・センは党中央委員会副議長に
- 93年:5月に国連管理下の総選挙。フンセン氏はノロドム・ラナリット(シアヌーク国王の次男)殿下が率いる暫定政権の共同首相に就任。
この年に新憲法が発効し、カンボジア王国が成立すると、第二首相になる。
その後もカンボジアでは内部闘争が続いたが、フンセン氏は98年、04年、08年、13年に首相を続投。
09年以降、隣国のタイから逃亡中のタクシン・チナワット元首相を、個人アドバイザーに迎え入れた。
マレーシア:ムヒディン・ヤシン首相の略歴
マレーシアでは、09年に就任したナジブ・ラザク首相の汚職問題があり、2018年の5月の総選挙の結果、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)氏が首相に就任。2003年まで首相だった同氏が92歳で首相に返り咲くのは、世界でも異例の出来事でした。
かつて「ルック・イースト」(日本や韓国から学ぶ政策)やマレー人を優遇する「ブミプトラ政策」を掲げたマハティール首相は、再度、就任すると、一帯一路に連動した大規模公共事業を撤回。さらには消費税にあたる間接税を軽減。
しかし、高齢のために予定していた後継がうまくいかず、前首相寄りのムヒディン・ヤシン氏(1947年5月15日~)が首相に指名されます。
この人は、州首相や内務大臣などを歴任した政治家で、ナジブ政権では副首相に任命された政治家です。
ヤシン氏はマラヤ大学卒業後、ジョホール州での公務員勤務を経て、民間企業の重役を務め、1978年に国会議員となります。
その後、外務省の議会長官や、連邦領土省の副大臣、通商産業省、スポーツ大臣、農業産業大臣等を歴任。
シンガポール:リー・シェンロン首相の略歴
- 52年:2月10日に建国の父リークアンユーの息子としてシンガポールに生まれた
- 74年:ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ校を卒業(数学、コンピューター工学専攻)
- 80年:ハーバード大学ケネディスクールを卒業(行政学修士)。まず軍でキャリアを積む。
- 71年:シンガポール国軍入隊
- 81年: 統合幕僚運用部長
- 82年: 統合幕僚長
その後、政治家として歩み始める。
- 84年:32歳頃に国会議員初当選(以降計6選)。貿易産業担当国務大臣兼国防担当国務大臣
- 87年:貿易産業大臣兼第二国防大臣
- 90年:副首相兼貿易産業大臣
- 93年:41歳頃に副首相になる
- 98年:副首相のまま通貨監督庁(MAS)議長兼任
- 01年:さらに財務大臣を兼任
- 04年:首相兼財務大臣
- 04年:人民行動党(PAP)書記長
- 07年:55歳で首相
- 15年:リークアンユー氏の死後、人民行動党書記長となる。
フィリピン:ボンボン・マルコス大統領の略歴
ボンボンと聞くと、日本人は別のことを連想しますが、これは通称。
本名は、フェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニア(Ferdinand Romualdez Marcos Jr.)
父は元大統領のフェルディナンド・マルコス。母はイメルダ夫人。1957年、マニラ市でマルコス一家の長男(第二子)として生まれました。
その後、1970年に英ウェストサセックスのワーススクールに入学。その後、オックスフォード大とペンシルベニア大のウォートンスクールに学んでいます(いずれも非卒業)。
- 80年、無投票で北イロコス州副知事に就任。
- 83年、州知事に就任。
- 86年、エドゥサ革命によりマルコス・シニア政権が打倒され、その一家は米軍とともにハワイに亡命。移住生活が始まる。
- 89年、マルコス・シニアがハワイで死去。その後、アキノ大統領はマルコス家の帰国を許可。
- 92~95年:北イロコス州第2区地区選出の下院議員
- 98年:北イロコス州知事に当選
- 10年:上院議員に当選
- 16年:副大統領候補に出馬するも敗北。
- 21年:10月にFB上で翌年の大統領選に出馬表明
- 22年:5月9日のフィリピン大統領選に当選
ドゥテルテ前大統領の娘であるサラ・ドゥテルテ氏(ダバオ市長)が大統領選への出馬をとりやめ、、マルコスと連携したこと(サラは副大統領候補となる)で勢いを得て、2022年の大統領選に圧勝しました。
ただ、手腕は未知数なので、その評価は今後の仕事にかかっています。
インドネシア:ジョコ・ウィドド大統領の略歴
1961年6月21日に中部ジャワ州にあるスラカルタ(ソロ)市に出まれた(現56歳)。
スラカルタ市の貧しい大工の家に生まれ、父の家具工房を手伝いながら小中学校に通学した。
高校進学時の志望校への受験等を経てガジャ・マダ大学林業学部に進学し、木材加工を研究。
この大学を24歳の時(85年)に卒業し、木工業の会社に勤めたがうまくいかず、叔父の木材会社に勤務。
その後、自分で家具製造と輸出を行う企業をつくった。倒産と再建を経ながら二男一女を育てた苦労人。
- 92~96年:インドネシア商工会議所のスラカルタ支部鉱業エネルギー部長
- 02~07年:インドネシア家具手工芸品協会会長
- 05年:スラカルタ市長
- 10年:市長再選(スラカルタ市を観光都市として盛り上げた)
- 12年:市長ニ期目の途中で州知事選に出馬。ジャカルタ首都特別州知事になる(福祉政策に注力)
- 14年:知事一期目の途中で辞任し、大統領選に出馬
- 14年10月:インドネシア大統領に就任(19年に再選)
ジョコウィ氏を支援したのは01年~04年まで大統領を務めたメガワティ氏。インドネシアでは軍人出身の政治家が大統領になることが多く、ジョコウィ氏の対抗馬だったプラボウォ・スビアント氏(62歳)はもともと陸軍の高官(戦略予備軍司令官)だった。
ジョコウィ氏の前任者にあたるユドヨノ大統領は軍人出身で04年~14年までの長期政権を敷き、国の安定と経済成長を実現したが、不人気な人事(宗教相に宗教的少数派を軽視する人物をあてた)や政敵を汚職捜査で陥れた疑惑などが浮上し、新しく台頭してきたジョコウィ氏に敗れた。
イスラエル:ネタニヤフ首相の略歴
2021年6月にネタニヤフ政権が崩壊。
その後、ベネット政権が発足するも22年11月の総選挙の結果、リクードをはじめとする右派勢力の連立政権が発足。
ビンヤミン・ネタニヤフ(H.E. Mr. Benjamin NETANYAHU)は首相に返り咲いた。
- 49年:シオニストの家にテルアビブで出生(10月21日)
- 67~72年:国防軍コマンド部隊所属
- 79年:「ヨナタン研究所」(民間のテロ研究機関)所属
- 82~84年:在米イスラエル大使館次席
- 84~88年:国連大使
- 88年:総選挙初当選。
- 88~91年:外務副大臣
- 91年:マドリッド中東和平会議イスラエル代表上級団員
- 93年:リクード党首選挙で勝利
- 96~02年:首相
- 02~03年:外相
- 03~05年:財務相
- 09年:首相
- 21年:6月に首相退任
- 22年:11月に首相就任
サウジアラビア:サルマン国王の略歴
46年ぶりに2017年に訪日したサルマン国王は、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、日本、中国の順に訪問を重ね、4週間ほどの異例の長期訪問を続けた。これは、近年の原油価格の下落により財政が悪化し、近年、石油依存経済から脱却する道筋を模索しているため。外遊は経済協力を引き出し、国内の経済改革への弾みをつけることが狙い。
サルマン国王の本名は「サルマン・ビン・アブドルアジーズ・アール・サウード」。
「二聖モスクの守護者国王」の略歴は以下の通り(これは、サウジアラビアがイスラムの聖地メッカとメディナを防衛していることに由来した敬称)
- 35年:12月31日に首都リヤドで出生(現82歳)。イスラムの指導者からの家庭教育を受けて育った。
- 54年:19歳でリヤド州知事となる。
- 11年:国防相
- 12年:国防相と皇太子、副首相を兼任
- 15年:国王兼首相
57年もの長きにわたって知事を務め、皇太子になり、兄であるアブドラ前国王の死後、国王になった。
即位後、息子のムハンマド国防相(1985年生なので当時29歳)を副皇太子(王位継承順位第二位)に任命し、世代交代の道を開いた。
サルマン王は、即位後に原油価格の急落や、サウジ内のシーア派指導者の処刑に端を発したイランとの国交断絶など激しい国際情勢の変化に直面している。
高齢のせいもあって、国政の判断の多くをムハンマド副皇太子に委ねている。
エジプト:シシ大統領の略歴
- 54年:カイロに生まれる
- 77年:エジプト陸軍士官学校卒(その後、機械化師団長。国防省事務総局首席補佐官を歴任。サウジアラビア大使館付陸軍武官等を歴任)
- 11年:エジプト軍軍事情報庁長官
- 11年:アラブの春が起き、ムバラク追放。モルシ政権成立(軍最高評議会に抜擢されたシシとモルシの対立が深刻化)
- 13年:シシがクーデターでモルシ政権を倒す。
欧米諸国からは軍政回帰が警戒され、欧米リベラル系のメディアからはシシは叩かれ続けている。
しかし、リアリズムで見ると、エジプトの安定は中東の均衡を保つために不可欠という意見も根強い。
トルコ:エルドアン大統領の略歴
本名はレジェップ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip ERDOĞAN)。
- 54年2月26日にイスタンブールで生まれ、
- 73年:宗教指導者を養成するイスタンブール・イマーム・ハティプ校を卒業(マルマラ大学経済商学部をも卒業。商社に勤務し、アマチュア・サッカー選手にもなった)
- 75年:21頃に国家救済党(MSP)で支部青年局長
- 85年:31歳頃に福祉党(RP)でイスタンブール総支部代表
- 86年:福祉党の中央執行委員
- 91年:福祉党から91年(37歳)で総選挙に立候補し、落選。
- 94年:40歳頃にイスタンブール特別市長に当選。
しかし、偉くなるまでの間に刑法犯として度々しょっ引かれた。
- 97年:演説内容が扇動罪に問われ検察に訴えられる
- 98年:禁固10ヶ月の実刑判決(有罪確定。市長解任)。
- 99年:刑務所に収監され、7月に特赦で釈放。
途上国の政治運動はなかなか大変だが、エルドアン氏は頭角を現す。
- 01年8月(47歳):公正発展党(AKP)を結成。立党以来、党首を務める。
- 02年9月(48歳):高等選挙評議会に総選挙立候補を却下される。
- 03年3月(49歳):国会議員に初当選。首相就任。
- 07年7月(53歳):国会議員再選。翌月に第2次内閣発足。
- 11年6月(57歳):国会議員3選。翌月に第3次内閣発足
- 14年8月(60歳):大統領に就任。
- 16年7月(62歳):トルコ軍クーデターを鎮圧。その後、非常事態宣言。
16年7月以降、強権化し、今は欧米メディアでも独裁者扱いされている。
エルドアン氏がクーデター後に強権化した経緯は以下の通り。
- 16年7月15日:蜂起したトルコ軍の一派は国営放送局を占拠し、「軍の権限を掌握」と発表。ボスポラス海峡大橋と空港を封鎖。首都アンカラでもトルコ大国民議会を空爆し、軍関連施設や大統領府、官公庁等を襲撃。
- エルドアン大統領は休暇先のマルマリスから全国民にクーデターに対抗すべきだと訴え、広場・空港等に出ることを呼びかけた。各地で市民が街頭に集まり、クーデター派に対抗。
- 7月16日にはクーデター派が投降を開始。参謀総長代行がクーデターは失敗と発表した(市民を中心に死者250名、負傷者2193名の犠牲を生んだ)。
- トルコ政府はクーデター首謀者は宗教指導者のギュレン師だと断定。
- 7月20日にギュレン派を公的機関から一掃すべく90日間の非常事態を宣言。
- その後、17年以降も非常事態宣言の延長を続け、それを大国民議会で承認させている。
イランの指導者
アリー・ハメネイ(最高指導者)の略歴
イランでは大統領の上に「最高指導者」という役職があります。
ハメネイはホメイニの後継者として、1989年以来、イランを率いてきました。
イランの動向を見る際には、大統領だけでなく、その上にいるハメネイの動きを見る必要があります。
- 39年:7月15日に出生。小中学校を卒業後、イスラム諸学を修める。
- 58年:イラクのナジャフで神学を学ぶ。その後、64年までホメイニのもとでイスラム法学を学ぶ。
- 62年:ホメイニの呼びかけに応え、イスラム勢がゴム市で革命運動に蜂起。失敗し、ハメネイは投獄された。釈放後は革命の組織づくりに貢献。
- 81年:前任のモハンマド・アリー・ラジャーイー大統領が暗殺され、大統領となる。
- 85年:大統領に再選される。
- 89年:ホメイニの死後、最高指導者に選出される
マスウード・ペゼシュキヤーン大統領
略歴は以下の通り。
- 54年:マハバードでイラン系アゼルバイジャン人の父とクルド人の母との間に生まれた
- 73年:卒業証書を授与され、兵役のためザーボルへ移る
- 80年から88年:イラン・イラク戦争で従軍
- 85年:一般医コースを修了し、医科大学で生理学を教え始める
- 93年:イラン医科大学で心臓外科の専門分野を取得
- 97年:ハータミー政権に保健医療教育副大臣として入閣
- 01年 – 05年:保健・医療教育大臣を務める
- 08年:タブリーズ代表としてイラン国会に選出される
- 16年 – 20年:イラン国会の第一副議長を務める
- 24年:大統領選挙で当選する
イラク:アバディ首相の略歴
(Date:2015/1/22、Source Flickr: Counter-ISIL Coalition Small Group Meeting、Author:Foreign and Commonwealth Office)
本名はハイダル・アル=アバーディ(Haider al-Abadi)。IS台頭から打倒までの多難な時代の首相を務める。
- 52年:4月25日にバグダッドに出生(現65歳)
- 67年:ダアワ党に入党(兄弟2名が反政府活動で処刑される)
- 75年:バグダード工科大学で電気工学を学ぶ。
- 81年:英マンチェスター大で電気工学博士号を取得
- 03年:イラク戦争まで英国でエンジニアリング業界のコンサルタントをしながら、亡命イラク人によるダアワ党指導者となる。
- 03年:通信大臣(~04年)
- 13年:財務委員会議長
- 14年:8月に首相に任命(内閣発足は9月8日)
アフガニスタン:ガニ大統領の略歴(*亡命中)
(出所はWIKI)
米軍が撤退したアフガニスタンではタリバンが首都カブールを制圧し、14年9月末から21年8月15日まで大統領を務めたアシュラフ・ガニ大統領は国外に脱出しました。
ガニ氏(1949年5月19日、アフガンのロガール生)はソ連軍侵攻(78年)の前はカーブル大で教鞭をとっていた知識人でしたが、その後、渡米し、ジョンズ・ホプキンス大学を経て、91年以降、世界銀行に勤務します。その後、アフガンでカルザイ氏の暫定政権が成立すると財務相となり(2002-2004年)、06年には国連事務総長選挙に立候補を表明(落選)。さらには、09年のアフガン大統領選挙に出馬しました(4位)。14年には当選し、大統領に就任します。
オバマ政権のアフガン戦争の後、治安の強化をはかり、地域の安定化を目指したわけですが、結局のところ、米軍が手を引くことになり、後ろ盾を失ったガニ政権は崩壊。カブールを中心にしたアフガンの行政をタリバンが仕切ることになりました。
タリバン側は、今後、アフガンは評議会により統治され、最高指導者のハイバトゥラ・アクンザダ師が実権を握ると述べています。評議会議長が従来の大統領のような役割を果たし、最高指導者がその上に立つわけです。
イランに似た仕組みですが、本当に自由と民主が守られるのかどうが、世界の注目を集めています。
南アフリカ:シリル・ラマポーザ大統領
ズマ大統領が汚職で辞任し、18年2月にラマポーザ副大統領が新大統領となった。
その経歴は以下の通り。
- 52年:南アフリカのスエトに11月17日に生まれる。リンポポ大と南アフリカ大を卒業
- 91~97年:アフリカ国民会議事務局長
- 12~17年:アフリカ国民会議副総裁
- 14~18年:副大統領
今後、ズマ政権下で汚職の温床となった国営企業を改革する方針。
ブラジル:ルーラ大統領の略歴
ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(Luiz Inácio “Lula" da Silva)は2003年から2010年まで大統領を務めた後、2023年にまた大統領に返り咲いた。
- 47年:12月14日にペルナンブーコ州の農家に出生
- 75年:サンパウロ州サン・ベルナルド・ド・カンポとジアデーマの鉄鋼労働者組合長
- 80年:労働者党の創立に参加。軍事政権下で冶金労働者のストライキを組織
- 82年:サンパウロ州知事選に立候補
- 94年:大統領選挙に出馬
- 98年:大統領選挙に出馬
- 02年10月:大統領選に当選
- 03年1月:大統領就任
- 11年1月:大統領退任
- 22年10月:大統領選に当選
- 23年1月:大統領就任
アルゼンチン:ハビエル・ミレイ大統領の略歴
- 70年: ブエノスアイレスでイタリア系の家庭に生まれる。父はバス運転手であった。
- 92年: ベルグラノ大学で経済学の学位を取得、トルクァト・ディ・テラ大学で経済学の修士号を取得する。
- 2010年代:アルゼンチンの討論番組で影響力を発揮
- 15年: 経済学の講演活動を行いながら、政治的な影響力を高める。
- 20年: 自由前進党を結成。
- 21年: 代議院議員に選出される。
- 23年: 大統領選挙に出馬し、勝利を収める。
- 23年5月: インフレが高まり、ミレイの支持率が上昇する。アルゼンチン・ペソを廃止してアメリカ合衆国ドルを採用することを公約する。
- 23年12月: アルゼンチン大統領に就任。
ベネズエラ:マドゥロ大統領
(出所はWIKIPEDIA)
議会とのバトルが続くベネズエラの現職大統領の本名は、ニコラス・マドゥーロ・モロス(Nicolás Maduro Moros ※長いのでマドゥロ大統領と記載)。
1962年11月23日にミランダ州カラカスの労働者街に、労働組合の指導者の息子として生まれた。
同市内の公立高を退校後、メトロバスに勤務しながら労働組合運動に参加。86年(24歳)にキューバに渡航して共産主義を学び、帰国後、後にクーデターを起こすウゴ・チャベス陸軍中佐に強力した。
92年、チャベスはクーデターに失敗したが、94年の釈放後、97年に「第五共和国運動」を結成し、翌年に大統領選で勝利する。マドゥロはチャベスの腹心として働き、チャベスの死後、大統領の地位を引き継いだ。
その経歴は以下の通り。
- 05年1月~06年8月:国民議会議長
- 06年8月9日:外務大臣
- 12年10月13日:副大統領就任
- 13年3月5日:大統領就任
- 16年4月~17年4月:南米諸国連合議長
メキシコ:ロペスオブラドール大統領
(Source:LENÍN MORENO SE REÚNE CON EL LÍDER MEXICANO LÓPEZ OBRADOR/Author Agencia de Noticias ANDES、Date:3 August 2017)
18年7月1日のメキシコ大統領選では、左派のロペスオブラドール氏が当選しました(得票率は5割超とみられる)。
(※フルネームの四つの頭文字を取り「AMLO」とも呼ばれる。✖アムロ・レイ)
大統領選では「メキシコ第一主義」を掲げてトランプ政権に対抗しつつ、勝利演説で米国との親密な関係を模索することを表明。
NAFTA再交渉に関しては、自国にプラスになるのであれば同協定の加盟国を続けるという立場です。
同氏は南部タバスコ州から世に出て、1970年代に、ペニャ・ニエト氏も所属する制度的革命党(PRI)に入党。その後、88年に同党を離党し、中道左派の革命民主党(PRD)の立党に関与しました。
まずは2000~05年にメキシコ市長として務め、その後、二回ほど大統領選に出馬しましたが、あきらめずに14年に国家再生運動(Morena)を創設。
三度目の正直で当選しました。
17年には『リッスン、トランプ』(トランプよ、聞け)を出版。メキシコでは「知らない人はいない」とも言われる知名度や、既成政治家などを「権力のマフィア」と激しく非難したことが功を奏したようです。
ただ、政策はかなり過激で「政権発足初日から年金支給額を倍にする」等と、恐ろしいことをぶちあげています。
(メキシコってそんなに豊かな国だったんでしょうか・・・)
筆者はやや不安になりましたが……。