日本の長者番付一覧(1位~50位)資産額、年齢、性別、業種等に要注目

経済問題

日本の資産家のランキングをフォーブス誌のデータを使って確認してみます。

2023年の5月31日にフォーブス誌は世界のビリオネアランキングを更新。

日本円換算すると、上位3人の資産は以下の通りでした。

  1. 柳井正:4兆9700億円
  2. 滝崎武光:3兆1700億円
  3. 孫正義:2兆9400億円

日本では政府が高額納税者ランキングを公開しなくなったので、フォーブスの総資産ランキングは貴重な情報源になっています。

また、その非公開化に伴って、日本のスポーツ選手や芸能人などの高額納税者が誰かが分かりにくくなりました。

日本のお金持ちのトップ層は、どんな顔ぶれなのでしょうか。

日本の富豪1位~50位の顔ぶれ

日本長者番付2023」を見てみます。

(※は一家・親族を含む。高原豪久のような二代目経営者の場合、事業継承前のデータは父の高原慶一朗の資産額を記載)。

氏名 億円 社名
1 柳井正 49700 74 ファーストリテイリング
2 滝崎武光 31700 77 キーエンス(センサー機器)
3 孫正義 29400 65 ソフトバンク
4 佐治信忠 14500 77 サントリー
5 高原豪久 10530 61 ユニ・チャーム
6 伊藤雅俊(の子) 6600 セブン&アイ・ホールディングス
7 毒島秀行 5760 70 SANKYO(パチンコ)
8 似鳥昭雄 5620 79 ニトリ(家具)
9 野田順弘 5480 84 オービック(ソフトウェア)
10 三木正浩 5400 67 ABCマート(靴のディスカウント)
11 永守重信 5340 78 日本電産
12 重田康光 5200 58 光通信(携帯、保険、OA機器)
13 三木谷浩史 5060 58 楽天
14 安田隆夫 4630 74 ドンキホーテ(ディスカウント)
15 大塚裕司 4350 69 大塚商会
16 関家一家 4210 ディスコ
17 小林一俊* 3930 コーセー
18 襟川陽一* 3860 72、74 コーエーテクモ
19 森章 3790 86 森トラスト
20 宇野正晃 3230 76 コスモス薬品
21 土屋嘉雄* 3090 90 ベイシアグループ
22 多田勝美 3020 77 大東建託(賃貸住宅)
23 小川賢太郎 2950 74 ゼンショー(すき家等)
24 荒井正昭 2810 57 オープンハウス
25 福嶋康博 2670 75 スクウェア・エニックス
26 内山洋* 2530 レーザーテック
27 栗和田榮一 2460 76 SGホールディングス
28 前澤友作 2390 47 スタートトゥデイ(ZOZOTOWN)
29 多田直樹* 2320 サンドラッグ
30 柴原慶一 2250 58 アンビス
31 吉田嘉明 2180 82 DHC
32 岡田和生 2110 80 ユニバーサルエンターテインメント(パチスロ機)
33 森佳子 2090 82 森ビル
34 飯田和美 2050 83 飯田グループ
35 木下盛好* 2040 アコム
36 上月景正 2020 82 コナミ(ゲーム)
37 里見治 2010 81 セガサミー
38 中谷忠子 1970 TOA、シスメックス
39 島村恒俊 1900 97 しまむら
40 松井道夫* 1760 松井証券
41 辻本憲三 1690 82 カプコン
42 石橋寛 1620 76 ブリヂストン
43 金子文雄 1540 66 大栄環境
44 和佐見勝 1530 78 丸和運輸機関
45 和田成史 1490 70 オービック
46 石原昌幸 1470 74 平和(パチンコ)
47 中村崇則 1400 50 ラクス
48 新井隆司 1380 77 ビックカメラ
49 藤田晋 1362 50 サイバーエージェント
50 篠原欣子 1355 88 パーソル

日本の富豪1位~50位の資産額の変動

さらに、前節のデータ2019~2022年までの過去データを用いてベスト50位の顔ぶれと、資産の変動を見てみます。

これを見ると歴代でランキングの上位に残っている人が誰かが分かります。

(※は前節と同じく一家・親族を含む)

順位 氏名 2023 2022 2021 2020 2019
1 柳井正 49700 30500 46270 23870 27670
2 滝崎武光 31700 27920 28420 21190 20670
3 孫正義 29400 27270 48920 21940 26670
4 佐治信忠 14500 12020 10690 10060 12000
5 高原豪久 10530 8270 8810 6320 5780
6 伊藤雅俊(の子) 6600 5620 4520 3480 4220
7 毒島秀行 5760 5430 4850 4390 4950
8 似鳥昭雄 5620 3750 5730 4280 3780
9 野田順弘 5480 4520 4740 3360 2610
10 三木正浩 5400 3880 4080 3430 4210
11 永守重信 5340 5950 9920 3960 5000
12 重田康光 5200 4010 5620 5030 6000
13 三木谷浩史 5060 5690 8260 5780 6670
14 安田隆夫 4630 3360 4410 3370 3000
15 大塚裕司 4350 2840 3420 3350 2890
16 関家一家 4210 2590 ? ? ?
17 小林一俊* 3930 2970 3970 3320 4330
18 襟川陽一* 3860 3230 3640 1450 1390
19 森章 3790 4140 4300 4170 5220
20 宇野正晃 3230 2520 3530 2570 2110
21 土屋嘉雄* 3090 2550 4190 3530 ?
22 多田勝美 3020 3100 2540 2520 2450
23 小川賢太郎 2950 1870 1870 1280 1670
24 荒井正昭 2810 2460 2530 1120 1030
25 福嶋康博 2670 2000 2310 1770 1500
26 内山洋* 2530 2330 2260 ? ?
27 栗和田榮一 2460 2530 2480 1310 1940
28 前澤友作 2390 2200 2090 2030 2220
29 多田直樹* 2320 1760 2200 1820 1830
30 柴原慶一 2250 1750 ? ? ?
31 吉田嘉明 2180 1330 ? ? ?
32 岡田和生 2110 1550 2070 1280 2270
33 森佳子 2090 1490 1420 1500 1920
34 飯田和美 2050 1680 2040 1070 1560
35 木下盛好* 2040 1940 2860 2460 2280
36 上月景正 2020 2070 1820 980 1340
37 里見治 2010 1600 1310 1020 1000
38 中谷忠子 1970 1810 ? ? ?
39 島村恒俊 1900 1620 1760 ? 1090
40 松井道夫* 1760 1730 1740 1480 2000
41 辻本憲三 1690
42 石橋寛 1620 1360 ? 940 1130
43 金子文雄 1540
44 和佐見勝 1530 1220 1380 1000 ?
45 和田成史 1490 1240 1710 1340 ?
46 石原昌幸 1470
47 中村崇則 1400
48 新井隆司 1380 1290 1430 ? ?
49 藤田晋 1362 1500 1980 1030 1170
50 篠原欣子 1355

 

長者番付ベスト12の横顔

1位:柳井正 今後の戦略は?

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ファーストリテイリングの柳井正(会長兼社長)は17年10月、2年後を目途に社長職を譲り、会長職に専念すると述べたものの、このプランはいまだ実現していません。

柳井も70歳をすぎたので、今後は後継者の育成や選定が大きな課題になります。

日経電子版「2年後に会長専念」によれば、その後継者は「執行役員など内部から選ぶ」ことになるそうです。
(出所:日経電子版「ファストリ柳井、2年後に会長専念 社内から社長」2017/10/21)

  • 「実際の経営は若い人がしないといけない」
  • 市場の構造改革に対応し、スピード感ある経営判断を下すには、体力やIT(情報技術)などの知見がある若い経営者が必要であるため。
  • 後継者は「今の執行役員の中から一番ふさわしい人が最高経営責任者になる」
  • 現在、執行役員にあたる人は40人強。執行役員の2人の実子は後継の社長候補ではないという。
  • 「会長職」はアドバイスする立場だが「創業者に引退はない」。
  • 柳井は過去、「65歳での社長引退」を撤回したこともある。

柳井は、守成をしながら事業を大きくするという難題に直面しています。後継がうまく行くかどうかは、今後の企業経営の貴重なケーススタディになりそうです。

柳井は2018年に『トヨタ物語』(野地秩嘉著)を読み、「自分はまだまだ甘い」と感じ、ユニクロをトヨタに負けない大企業に発展させる決意を新たにしたとも述べています。トヨタは初代(豊田佐吉)から二代目(豊田喜一郎)、三代目への事業継承に成功しているからです。

今後、ユニクロが事業継承に成功するかどうかが、大きな運命の分かれ目となります。

2位:滝崎武光 退任後もキーエンスは堅調

滝崎武光は1972年にリード電機(現キーエンス)を創業(現・名誉会長)。

74年以来、代表取締役社長を務め、2000年12月には代表取締役会長となりました(2015年に会長から退任)。

一代で日本のリーディングカンパニーを築き上げたわけです。

キーエンスは、FAセンサー等の検出・計測制御機器大手です(*FA=工場の自動化。ファクトリー・オートメーションの略)。

その人工知能(AI)搭載画像判別センサーは超小型なのに、自動で明るさや焦点、検出設定等を計測・数値化し、は瞬時に「良品・不良品」の判別を行います。

同社は、この分野のリーディングカンパニーで、立体物の情報を周囲から計測・数値化する3Dスキャナー型三次元測定機、自動倉庫システムなども手がけています。

キーエンスは、工場を持たずに生産を委託する仕組みと、直販体制でのコンサル・提案営業を両立しています。

大きな権限を持った営業スタッフが顧客の生産現場に入ってコンサル営業を行い、顧客ニーズを開発部門に伝え、高付加価値の新製品を生み出すわけです。

そのモデルは謎が多いのですが、滝崎氏の退任後も、その仕組みは堅調に回っているようです。

3位:孫正義 通信業界の雄から投資事業へ

孫正義は、19歳の頃、初めてマイクロプロセッサーを雑誌で見て、感動のあまり路上で泣いたとも述べています。
「これで人類の生活が一変する。人類最大のイノベーションだ」(『フォーブス2018年3月号、P49)

この時、産業革命に次ぐ情報革命が起きると直感したのです。

孫はカリフォルニア大在学中に音声翻訳機の特許売却で得た資金を元手にして、1979年にベンチャー企業を創業。

80年に卒業し、この企業を売却して帰国後、ソフトバンクを設立しました(81年)。

当初はパソコンソフトの卸売を行い、パソコン関連の出版業にも業務を拡大。

96年には米ヤフーに出資し、合弁事業でYahoo! JAPANを立上げました(98年に東証一部に上場)。

ネットビジネスに乗り出し、放送、通信、金融などでM&Aを行い、事業を拡大していきます。

ネットの普及でポータルサイトのヤフーが急成長を遂げたのは、米国で成功したビジネスモデルが数年遅れで日本にやってくるという読みが当たったからです。

孫は、この頃にYahoo!BBを設立し、最安価なADSLのネット接続サービスを提供。

さらに、固定電話会社の日本テレコムを買収、携帯電話事業への参入表明などで業界に旋風を起こし、06年に英通信会社ボーダフォンの日本法人を買収しました(ソフトバンクモバイルに社名が変わる)。

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近年では「通信事業会社から戦略的持株会社へ」という構想のもと、世界のテクノロジー企業に投資しています。

人工知能(AI)の活用による市場拡大と新産業創出に着目し、各分野のリーダー企業に投資し、シナジー効果を狙う「群戦略」のもと、2017年に「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」を設立しました。

サウジアラビア等の協力を得て、世界中のスタートアップへの年間投資額に匹敵する10兆円規模のファンドができました。

その投資先はワンウェブ(米衛星通信)、フリップカート(インドのネット通販)、ボストン・ダイナミクス(ロボット)、OSIソフト(産業用IoT)等で、1社あたり1000億円規模になるそうです(米ウーバーへの投資は1兆円規模)。

しかし、2020年の株安が直撃し、孫氏は大打撃を受けました。2021年には中国株が失速。2022にはテクノロジー銘柄の株価が下がり、同社は難しい局面に立たされています。

4位:サントリー 佐治信忠氏

佐治信忠(1945~)はサントリーを発展させた元会長の佐治敬三(1919-1999)の後を継ぎました。

サントリーの歴史を振り返ると、1899年に鳥井信治郎が鳥井商店として大阪に創業(その後、何度も社名が変わる)。酒類の製造・販売を手がけ、1946年に「トリスウイスキー」を発売。これがブームになり、日本でウイスキーが普及するきっかけとなりました。

1963年にはサントリーに社名変更し、武蔵野ビール工場を完成させてビール製造にも進出しています。

佐治敬三は、この頃、1967年に日本で初めてビール酵母の熱処理殺菌なしの「生ビール」をつくり上げ、1986年には100%麦芽のビール「モルツ」を発売。

しかし、87年にはアサヒビールが「スーパードライ」を発売し、サントリーのビール事業は赤字化していきます。

敬三は「商いとは『飽きない』こっちゃ」と述べ、赤字続きのビール事業の再生に執念を燃やしたものの、生前にその黒字化を見ることはできませんでした。

しかし、信忠はその試みを引き継ぎ、「ザ・プレミアム・モルツ」を開発し、2008年に黒字化を達成します。

この父子は、日本における事業継承の有名な成功例となりました。

信忠は海軍で技術将校をしていた父を「学者タイプ」と評しました。(以下、出所は「ビールに執念の遺伝子」サントリー佐治、父を語る NIKKEI STYLE)

「創業者の祖父(鳥井信治郎)は根っからの商売人だったが、おやじは実はそうではないんです。たぶん、研究者になりたかったんでしょう。経営者になり、ずいぶん努力したんでしょうね」

そして、敬三の業績として「ビール事業への参入」を挙げています。

「それで今のサントリーがある。ウイスキーだけだったらつぶれていたでしょうね。ウイスキーは手工業的な世界ですが、ビール事業に参入したことでサントリーは近代的な企業に生まれ変わった」

信忠は資金の回転も早く、難しい装置産業であるビール事業で父が会社を変えたことに敬意を表しています。

祖父⇒父⇒子と事業を三代にわたって継いできた佐治家の事例には、他の経営者にとって、学ぶべきことが数多くありそうです。

5位:高原豪久 ユニチャーム二代目

高原豪久氏は二代目社長の成功例です。

ユニ・チャームは、ベビーケア用品(オムツ等)、生理関連用品、大人用排泄介護用品、掃除用品(シートクリーナー等)、ウェットティッシュ、立体型マスク、ペットケア用品などを手がけています(*近年は中国を軸にしたアジア展開に注力)。

高原氏はユニチャーム創業者である高原慶一朗氏から事業を継ぎ、企業のグローバル化を進め、業績を拡大しました。

高原氏は1961年に愛媛県に生まれ、若い頃に米国に1年間留学しています。

その時、欧米企業のスケールの大きさを見て対抗意識を燃やし、欧州・米州・アジアのうち、これから最も伸びるのはアジアだと考えました。

大学卒業後、銀行に入社し、その後にユニチャームに入りましたが、当時は大企業病で社員の活力が下がっていたようです。

高原氏は、経営の重責を担うと「本業多角化、専業国際化」という方針を掲げます。

不織布と吸収体の加工成形技術に経営資源を集中させ、そこから派生した事業を育成し、競争力の強い事業を海外展開していきました。

39歳で社長に就任した頃は、整理した事業の役員だけでなく、父とも確執が起きましたが、この方針を断行。

その結果、世界80カ国以上に進出し、ベビー用紙おむつや生理用品市場でシェアを獲得。

2017年にはこの分野で「アジア1位、世界三位」とも報じられていました(フォーブス誌)。

フォーブス記事によれば、その勝ちパターンは成長市場に対しては、「小さく生んで、大きく育てる」こと。

「”1─10─100”が私のモットー。計画を立てる労力が1だとすると、計画の実行には10倍、成功させるまでには100倍のエネルギーがかかります」

高原はそう熱弁しています。

その経営理念や行動原則は「ユニ・チャームウェイ」としてまとめられ、全世界で共有されています。

6位:伊藤雅俊(の息子・娘) *イトーヨーカ堂創業家

伊藤雅俊は2020年に創業100周年を迎えたイトーヨーカ堂の創業者です。

今では、グループ事業のうち、セブンイレブンのほうが主力になっていますが、その創業の精神は「お客様は来てくださらないもの。お取引先様は(商品を)売ってくださらないもの」という、実母の言葉に由来するそうです。

個人商店の時代から、兄とともに事業を経営し、戦後、百貨店のヨーカドーを全国に展開する規模にまでの発展を遂げました。

今は百貨店よりもコンビニが栄え、さらにEコマースが台頭する時代になってきています。

その創業の精神に基づいて事業繁栄を続けていけるかどうかが、まさに試されています。

7位:毒島秀行 SANKYO

毒島秀行は、パチンコメーカーの三共を創業した毒島邦雄(ぶすじま くにお、1925ー2016年)から資産を継承しました。

2008年より同社のCEOを務めています。

毒島邦雄は群馬県に生まれ、戦後すぐに三共電機製作所を開業しました。

さらに、三共運送や桐生フードセンター、三共技研などを創業し、平和工業の常務を経たあと、1966年に三共製作所をつくりました。

95年には東証2部に上場、97年には1部上場。

SANKYOはフィーバー台で成長し、開発力に定評あるパチンコ機製造大手として事業を拡大していきました。

8位:似鳥昭雄 家具のチェーン展開で大成功

似鳥昭雄は株式会社ニトリの創業者です(現在は会長)。

44年に樺太に生まれ、終戦後、北海道札幌市から身を起こしました。

北海学園大(経済学部)を卒業後、広告会社で解雇され、23歳で似鳥家具店を創業した苦労人です。

72年に渡米し、家具業界向けの研修セミナーに参加し、現地で得た学びを踏まえて、チェーンストア方式で家具販売を拡大。

ニトリはその後、全国トップの家具・インテリア製造小売りの企業に躍進し、中国、台湾、米国に続きマレーシアへの進出を果たしました。

(*子会社にホームセンターの島忠を保有)

日本から海外に事業を拡げ、ニトリは、世界5万店舗を目指しています。

9位:野田順弘  オービック代表取締役会長

野田順弘(のだ まさひろ)はオービックの代表取締役会長です。

1938年に奈良県に生まれ、61年に関西大学経済学部を卒業後、68年に妻とともに大阪ビジネスカンパニーを創業(のちのオービック)。

文化にも造詣が深く、日本中央競馬会 (JRA) の馬主も務めています。

10位:三木正浩 ABCマート創業者

三木正浩(みき まさひろ、1955年生)は靴小売のABCマート創業者で、イーエムプランニング会社代表を務めています。

三重県伊勢市の不動産業や飲食業を営む家に生まれ、28歳の時に東京の早稲田で靴と衣料品の輸入販売を手がける株式会社国際貿易商事を設立。

1986年にロンドンでブーツブランド「ホーキンス」の日本代理店契約に成功。

国内総代理店となり、調達ルートを自前で開拓し、韓国や中国などでの製造と中間業者へのマージンを削減し、低価格販売に成功。

1990年に小売業に進出。その後、カリフォルニア州のスケートボード靴メーカーVansの国内総代理店となる。

2002年に卸業から小売に業態を転換し、大規模に出店し、シェアを拡大(東証一部上場)

三木は2007年にABCマート会長を52歳で退任。その後は投資で資産を拡大している。

11位:永守重信 日本電産創業者

永守重信(1944年生)は日本電産の創業者です(現在は会長)。

1967年に職業訓練大(現在の職業能力開発総合大学校)を卒業し、音響機器制作会社のティアックに就職。

その後、子会社の山科精器取締役の取締役を経て、73年に28歳の若さで日本電産を創業。

同社を世界でシェアを競う小型モーター製造会社にまで発展させました。

近年の日本電産は、世界首位のHDD用など精密小型モーターから車載、産業用など中大型にシフトしてきています。

(21年に入り、EV参入を目指す台湾の鴻海グループとEV用駆動モーターの生産と開発担う合弁会社の設立を検討)

12位:重田康光 波乱万丈の「光通信」創業者

重田は、はり灸の専門学校を中退、さらに日本大学を中退。そこから億万長者になるという、かなり破天荒な経歴を誇っています。

電話加入権を販売する企業に勤め、88年に株式会社光通信を創業。

当時は第二電電の契約取次ぎ代理店から社業を開始し、携帯販売事業を手掛けることで急激に企業を成長させました。携帯普及の大波に乗ったわけです。

96年に31歳で株式を店頭公開。99年に東証一部上場。ただ、大量の携帯電話の架空契約などによる株価急落という大事件も引き起こしました。

その後、2000年以降は事業を再建。シャープの複写機販売・リースを手がけ、04年には黒字化を実現しています。

波あり谷ありの人生を生きている大富豪です。

13位:三木谷浩史 楽天経済圏の行方は?

1965年に神戸に生まれた三木谷は一橋大学を卒業し、日本興業銀行に入行しました。

28歳の時にハーバード大学でMBAを取ると、「一度きりの人生で悔いを残したくない」と起業を決意し、95年に興銀を退職。

96年に株式会社クリムゾングループを設立。97年に楽天の前身にあたる株式会社エム・ディー・エムを創業し代表取締役に就任しました。

(*ショッピングモール「楽天」の命名は織田信長の「楽市・楽座」にちなむ)

楽天はオープンから1年で出店数200を超える日本最大級のオンライン・ショッピングモールに成長し、2000年には株式の店頭公開を果たしました。

2000年代にはライブドアとの競争に勝ち、日本の新興企業の雄としての地位を確立しています。12年には「新経済連盟」の代表理事となるなど、財界活動も始めました。

もともとはイーショップが基盤ですが、最近は金融(証券など)や携帯分野への進出など、活動は幅広くなっています。

楽天ブックス、電子出版(コボ)、楽天ゴールデンイーグルス、Jリーグ・ヴィッセル神戸、楽天Edy、楽天証券などです。

「ネットショッピングなんて」「日本で電子出版なんて」「新興企業が球団なんて」といわれながらも、「やってのける力」で道を開いた三木谷は、どこまで楽天経済圏を拡大できるのでしょうか。

近年は、携帯事業にも参入。日本郵政とテンセントからの出資を得て、安い料金プランでの5Gスマホの普及を進めています。

14位:安田隆夫 ドン・キホーテ創業者。

1949年に岐阜県に生まれ、73年に慶大法学部を卒業。

78年、東京・杉並区にディスカウントショップ「泥棒市場」を開業。深夜営業で成功。

80年に小売の株式会社ジャスト(現:株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)を設立。

89年、東京・府中市にドン・キホーテ1号店を開業。

その後、95年に商号を株式会社ドン・キホーテに変更。

98年に東証二部上場。2000年に東証一部上場。

05年9月、株式会社ドン・キホーテの代表取締役会長兼CEOとなる。

15年6月に代表取締役会長兼CEOを退任し、創業会長兼最高顧問となった。

長者番付の特徴:資産額、年齢等

2023年データを見ると1位~5位が1兆円以上です。

6~13位が5000~1兆円。

14位~37位が2000~5000億円、

38位以降が2000億円以下なので、トップ5とそれ以外のメンバーとの差が非常に大きいことが分かります。

世界ランキングで見ると、上位100位以内に入るのは日本のTOP3のみで、あとはみな200位以下となっています。

そして、長者番付40位までを見ると、一番多いのは70代という構成になっています。

  • 90代が2名
  • 80代が10名
  • 70代が17名
  • 60代が5名
  • 50代が5名
  • 40代が1名

50代で若いと言われる日本政界を思い出させる年齢構成です。

この年齢構成は、日本では新企業が大をなすことが難しいことを暗示しています。

年ごとにランキングの変動を見ていくと、長者番付から日本経済の現状が透けて見えます。

フォーブスの世界富豪ランキングの面々と比べてみると、意外な発見があるかもしれません。