日本の長者番付一覧:2025年版資産家(お金持ち)ランキング 1位~50位

政治経済

日本の資産家のランキングをフォーブス誌のデータを使って確認してみます。

2025年の6月3日にフォーブス誌は日本の長者番付を更新。このランキングは、個人の資産を多角的に評価しているので、日本のお金持ちの実像を知る上で非常に価値のある情報源です。

日本円換算すると、上位3人の資産額は以下の通りでした。

  1. 柳井正:7兆円
  2. 孫正義:4兆930億円
  3. 滝崎武光:3兆円

日本の国税庁は「高額納税者ランキング」を2005年以降、公表しなくなったので、芸能人やスポーツ選手などの高額納税者が誰かも分かりにくくなりました。そのため、フォーブスの総資産ランキングは貴重な情報源になっています。

【*高額納税者ランキングとの違い】

  • 評価基準:長者番付は「総資産額」、高額納税者ランキングは「所得税額」が基準です。資産が多くても、その年の所得が少なければ高額納税者ランキングには載りません。
  • 情報源:長者番付はフォーブス誌による調査、高額納税者ランキングは国税庁の公式発表でした。

この違いにより、スポーツ選手や芸能人など、その年の所得が高い人々が上位に来やすかった高額納税者ランキングに対し、長者番付は大企業の創業者や経営者が名を連ねる傾向にあります。

それでは、日本のお金持ちのトップ層は、どんな顔ぶれなのでしょうか。

日本の富豪・資産家ランキング TOP50(2025年版)

・出所はフォーブス誌は日本の長者番付
・フォーブスの長者番付は、単に年収や納税額を基にしておらず、本人や家族、財団が保有する株式、不動産、芸術品、現金など、あらゆる資産を評価して算出している。非公開企業の価値評価も含まれるため、より実態に近い「総資産」のランキングだとも言える
(※は一家・親族を含む。高原豪久のような二代目経営者の場合、事業継承前のデータは父の高原慶一朗の資産額を記載。H=ホールディングス)。

氏名 資産額 社名
1 柳井正 70000 ユニクロ 76
2 孫正義 40930 ソフトバンク 67
3 滝崎武光 30000 キーエンス 79
4 佐治信忠 15200 サントリーH 79
5 重田康光 10000 光通信 60
6 安田隆夫 7840 ドンキホーテ 76
7 高原豪久 7690 ユニ・チャーム 63
8 関家一家 7260 ディスコ
9 伊藤兄弟 7110 セブン&アイ・ホールディングス
10 森章 6820 森トラスト 88
11 毒島秀行 6680 SANKYO 72
12 三木谷浩史 6390 楽天 60
13 野田順弘 6310 オービック 86
14 三木正浩 5950 ABCマート 69
15 小川賢太郎 5660 ゼンショーH 76
16 似鳥昭雄 5150 ニトリH 81
17 上月景正 5080 コナミH 84
18 大塚裕司 5010 大塚商会 71
19 襟川陽一・恵子 4790 コーエーテクモH 74、76
20 永守重信 4060 日本電産 80
21 森佳子 3920 森ビル 84
22 宇野正晃 3770 コスモス薬品 78
23 元谷外志雄 3340 アパグループ 81
24 島野容三 3190 シマノ 76
25 福嶋康博 3120 スクウェア・エニックス・H 77
26 多田勝美 3050 大東建託 79
27 荒井正昭 2900 オープンハウス 59
28 島村恒俊 2760 しまむら 99
29 多田兄弟 2690 サンドラッグ
30 中谷一家 2610 シスメックス
31 土屋嘉雄* 2540 ベイシアグループ
32 辻信太郎 2470 サンリオ 97
33 吉田嘉明 2390 ディーエイチシー 84
34 宇野康秀 2320 U-NEXT H 61
35 辻本憲三 2310 カプコン 84
36 木下一家 2290 アコム
37 金子文雄 2280 大栄環境 68
38 小林兄弟 2250 コーセー
39 前澤友作 2180 ZOZO 49
40 内山一家 2160 レーザーテック
41 里見治 2150 セガサミーH 83
42 竹中統一 2100 竹中工務店 82
43 飯田和美 2030 飯田グループH 85
44 和田成史 1960 オービック 72
45 粟田貴也 1890 トリドールH 63
46 松井道夫・千鶴子 1810 松井証券
47 韓昌祐 1800 マルハン 94
48 石橋寛 1770 ブリヂストン 78
49 永田久男 1760 トライアルH 69
50 栗和田榮一 1740 SGホールディングス 78

日本の富豪1位~50位の資産額の変動

さらに、過去データを用いてベスト50位の顔ぶれと、資産の変動を見てみます。

これを見ると歴代でランキングの上位に残っている人が誰かが分かります。

(※は前節と同じく一家・親族を含む、単位は億円)

氏名 2025 2024 2023 2022 2021
1 柳井正 70000 59200 49700 30500 46270
2 孫正義 40930 42000 29400 27270 48920
3 滝崎武光 30000 32700 31700 27920 28420
4 佐治信忠 15200 14500 14500 12020 10690
5 重田康光 10000 6530 5200 4010 5620
6 安田隆夫 7840 6380 4630 3360 4410
7 高原豪久 7690 9650 1530 8270 8810
8 関家一家 7260 11500 4210 2590
9 伊藤兄弟 7110 6230 6600 5620 4520
10 森章 6820 6460 4140 4140 4300
11 毒島秀行 6680 5990 5760 5430 4850
12 三木谷浩史 6390 5450 5060 5690 8260
13 野田順弘 6310 5140 5480 4520 4740
14 三木正浩 5950 6300 5400 3880 4080
15 小川賢太郎 5660 3890 2950 1870 1870
16 似鳥昭雄 5150 5920 5620 3750 5730
17 上月景正 5080 2720 2020 2070 1820
18 大塚裕司 5010 4830 4350 2840 3420
19 襟川陽一・恵子 4790 2800 3860 3230 3640
20 永守重信 4060 5290 5340 5950 9920
21 森佳子 3920 3420 2090 1490 1420
22 宇野正晃 3770 2960 3230 2520 3530
23 元谷外志雄 3340 2650
24 島野容三 3190 3740
25 福嶋康博 3120 2350 2670 2000 2310
26 多田勝美 3050 3110 3020 3100 2540
27 荒井正昭 2900 2340 2810 2460 2530
28 島村恒俊 2760 2200 1900 1620 1760
29 多田兄弟 2690 3110 3020 3100 2540
30 中谷一家 2610 1710 1970 1810
31 土屋嘉雄* 2540 2180 3090 2550 4190
32 辻信太郎 2470
33 吉田嘉明 2390 2130 2180 1330
34 宇野康秀 2320 1760
35 辻本憲三 2310 1630 1690
36 木下一家 2290 2410 2040 1940 2860
37 金子文雄 2280 2020 1540
38 小林兄弟 2250 2880 3930 2970 3970
39 前澤友作 2180 2100 2390 2200 2090
40 内山一家 2160 4980 2530 2330 2260
41 里見治 2150 1650 2010 1600 1310
42 竹中統一 2100
43 飯田和美 2030 1770 2050 1680 2040
44 和田成史 1960 1740 1490 1240 1710
45 粟田貴也 1890 1560
46 松井道夫・千鶴子 1810 1810 1760 1730 1740
47 韓昌祐 1800 1860
48 石橋寛 1770 1870 1620 1360
49 永田久男 1760 2260
50 栗和田榮一 1740 1730 2460 2530 2480

長者番付ベスト14の横顔(2025年版更新)

1位:柳井正 今後の戦略は?

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柳井正(1949年2月7日生まれ、現在75歳)は、2025年現在もファーストリテイリングの代表取締役会長兼社長を継続しているフォーブス日本長者番付では2022年から4年連続で1位を維持し2024年の資産額は380億ドル(約6兆800億円)と評価されている

ファーストリテイリングの柳井正(会長兼社長)は17年10月、2年後を目途に社長職を譲り、会長職に専念すると述べたものの、このプランはいまだ実現していません。

2024年8月期に同社は初めて売上高3兆円を突破し、営業利益5009億円を計上する過去最高業績を更新しました柳井氏は「挑戦しない大企業にはなりたくない」と述べ、世界一のブランドを目指す姿勢を鮮明にしています

今後は後継者の育成や選定が大きな課題になります。同社では「FGLイニシアティブ」「MIRAIプロジェクト」といった次世代リーダー育成プログラムを実施しており、後継者育成に組織的に取り組んでいます。

日経電子版「2年後に会長専念」によれば、その後継者は「執行役員など内部から選ぶ」ことになるそうです。
(出所:日経電子版「ファストリ柳井、2年後に会長専念 社内から社長」2017/10/21)

– 「実際の経営は若い人がしないといけない」
– 市場の構造改革に対応し、スピード感ある経営判断を下すには、体力やIT(情報技術)などの知見がある若い経営者が必要であるため。
– 後継者は「今の執行役員の中から一番ふさわしい人が最高経営責任者になる」
– 現在、執行役員にあたる人は40人強。執行役員の2人の実子は後継の社長候補ではないという。
– 「会長職」はアドバイスする立場だが「創業者に引退はない」。
– 柳井は過去、「65歳での社長引退」を撤回したこともある。

柳井は、守成をしながら事業を大きくするという難題に直面しています。後継がうまく行くかどうかは、今後の企業経営の貴重なケーススタディになりそうです。

柳井は2018年に『トヨタ物語』(野地秩嘉著)を読み、「自分はまだまだ甘い」と感じ、ユニクロをトヨタに負けない大企業に発展させる決意を新たにしたとも述べています。トヨタは初代(豊田佐吉)から二代目(豊田喜一郎)、三代目への事業継承に成功しているからです。

今後、ユニクロが事業継承に成功するかどうかが、大きな運命の分かれ目となります。

2位:孫正義 通信業界の雄から投資事業へ、そしてAI革命へ

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孫正義は、19歳の頃、初めてマイクロプロセッサーを雑誌で見て、感動のあまり路上で泣いたとも述べています。
「これで人類の生活が一変する。人類最大のイノベーションだ」(『フォーブス2018年3月号、P49)

この時、産業革命に次ぐ情報革命が起きると直感したのです。

孫はカリフォルニア大在学中に音声翻訳機の特許売却で得た資金を元手にして、1979年にベンチャー企業を創業。

80年に卒業し、この企業を売却して帰国後、ソフトバンクを設立しました(81年)。

当初はパソコンソフトの卸売を行い、パソコン関連の出版業にも業務を拡大。

96年には米ヤフーに出資し、合弁事業でYahoo! JAPANを立上げました(98年に東証一部に上場)。

ネットビジネスに乗り出し、放送、通信、金融などでM&Aを行い、事業を拡大していきます。

ネットの普及でポータルサイトのヤフーが急成長を遂げたのは、米国で成功したビジネスモデルが数年遅れで日本にやってくるという読みが当たったからです。

孫は、この頃にYahoo!BBを設立し、最安価なADSLのネット接続サービスを提供。

さらに、固定電話会社の日本テレコムを買収、携帯電話事業への参入表明などで業界に旋風を起こし、06年に英通信会社ボーダフォンの日本法人を買収しました(ソフトバンクモバイルに社名が変わる)。

近年では「通信事業会社から戦略的持株会社へ」という構想のもと、世界のテクノロジー企業に投資しています。

人工知能(AI)の活用による市場拡大と新産業創出に着目し、各分野のリーダー企業に投資し、シナジー効果を狙う「群戦略」のもと、2017年に「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」を設立しました。

サウジアラビア等の協力を得て、世界中のスタートアップへの年間投資額に匹敵する10兆円規模のファンドができました。

その投資先はワンウェブ(米衛星通信)、フリップカート(インドのネット通販)、ボストン・ダイナミクス(ロボット)、OSIソフト(産業用IoT)等で、1社あたり1000億円規模の見込みです(米ウーバーへの投資は1兆円規模)。

しかし、2020年の株安が直撃し、孫氏は大打撃を受けました。2021年には中国株が失速。2022年にはテクノロジー銘柄の株価が下がり、同社は難しい局面に立たされました。

**【2024-2025年の最新動向】**

その後、ソフトバンク・ビジョン・ファンドは投資戦略を大幅に見直し、かつての「法外な値札をつける」投資から、より慎重で「恐る恐る」の投資スタイルに転換しました2024年10月の「SoftBank World 2024」では、孫正義氏が「10年以内に超知性(ASI:人工超知能)が実現する」という大胆な予測を発表し、AI分野への投資に再び注力する姿勢を示しています。

2025年には、孫氏が日米共同の政府系ファンド構想を提唱し、初期資本3000億ドル(約42兆8000億円)規模のファンド設立について米財務長官と協議していることが報じられています

孫正義は困難な時期を乗り越え、AI革命の次なる波に向けて再び積極的な投資戦略を展開し始めています。

3位:滝崎武光 退任後もキーエンスは驚異的成長を継続

滝崎武光(1945年6月10日生まれ、現在78歳)は1972年にリード電機(現キーエンス)を創業し、2015年3月にキーエンスの取締役名誉会長に就任

一代で日本のリーディングカンパニーを築き上げたわけです。

キーエンスは、FAセンサー等の検出・計測制御機器大手です(*FA=工場の自動化。ファクトリー・オートメーションの略)。

その人工知能(AI)搭載画像判別センサーは超小型なのに、自動で明るさや焦点、検出設定等を計測・数値化し、は瞬時に「良品・不良品」の判別を行います。

同社は、この分野のリーディングカンパニーで、立体物の情報を周囲から計測・数値化する3Dスキャナー型三次元測定機、自動倉庫システムなども手がけています。

キーエンスは、工場を持たずに生産を委託する仕組みと、直販体制でのコンサル・提案営業を両立しています。

大きな権限を持った営業スタッフが顧客の生産現場に入ってコンサル営業を行い、顧客ニーズを開発部門に伝え、高付加価値の新製品を生み出すわけです。

**【滝崎氏退任後の驚異的業績】**

2024年3月期の連結業績は、売上高9673億円、営業利益4950億円、営業利益率は51.1%という驚異的な好業績を計上しました。2025年3月期も増収増益になる見通しですキーエンスの時価総額は約14兆9329億円(2025年3月14日時点)で、日本の上場企業の中で6位に位置しています

滝崎氏は創業時から「自分はカリスマではない」と述べ、属人化を極力排除した組織づくりに徹してきましたキーエンスでは社長のことを「社責」(会社の責任者)、部長を「部責」と呼び、「長=一番偉い人」という印象を持たれたくないという考えを貫いています

滝崎氏は現在キーエンス財団の理事を務め、学業優秀かつ品行方正な学生に対し返済不要の給付型奨学金を提供しています。年間500名に月額8万円、4年間で総額19億2000万円を奨学金として給付する素晴らしい社会貢献活動を行っています

そのモデルは謎が多いのですが、滝崎氏の退任後も、その仕組みは驚異的な成果を上げ続けています。

4位: 佐治信忠 サントリー

佐治信忠(1945~)はサントリーを発展させた元会長の佐治敬三(1919-1999)の後を継ぎました。

サントリーの歴史を振り返ると、1899年に鳥井信治郎が鳥井商店として大阪に創業(その後、何度も社名が変わる)。酒類の製造・販売を手がけ、1946年に「トリスウイスキー」を発売。これがブームになり、日本でウイスキーが普及するきっかけとなりました。

1963年にはサントリーに社名変更し、武蔵野ビール工場を完成させてビール製造にも進出しています。

佐治敬三は、この頃、1967年に日本で初めてビール酵母の熱処理殺菌なしの「生ビール」をつくり上げ、1986年には100%麦芽のビール「モルツ」を発売。

しかし、87年にはアサヒビールが「スーパードライ」を発売し、サントリーのビール事業は赤字化していきます。

敬三は「商いとは『飽きない』こっちゃ」と述べ、赤字続きのビール事業の再生に執念を燃やしたものの、生前にその黒字化を見ることはできませんでした。

しかし、信忠はその試みを引き継ぎ、「ザ・プレミアム・モルツ」を開発し、2008年に黒字化を達成します。

この父子は、日本における事業継承の有名な成功例となりました。

信忠は海軍で技術将校をしていた父を「学者タイプ」と評しました。(以下、出所は「ビールに執念の遺伝子」サントリー佐治、父を語る NIKKEI STYLE)

「創業者の祖父(鳥井信治郎)は根っからの商売人だったが、おやじは実はそうではないんです。たぶん、研究者になりたかったんでしょう。経営者になり、ずいぶん努力したんでしょうね」

そして、敬三の業績として「ビール事業への参入」を挙げています。

「それで今のサントリーがある。ウイスキーだけだったらつぶれていたでしょうね。ウイスキーは手工業的な世界ですが、ビール事業に参入したことでサントリーは近代的な企業に生まれ変わった」

信忠は資金の回転も早く、難しい装置産業であるビール事業で父が会社を変えたことに敬意を表しています。

祖父⇒父⇒子と事業を三代にわたって継いできた佐治家の事例には、他の経営者にとって、学ぶべきことが数多くありそうです。

5位:重田康光 波乱万丈の「光通信」創業者

重田は、はり灸の専門学校を中退、さらに日本大学を中退。そこから億万長者になるという、かなり破天荒な経歴を誇っています。

電話加入権を販売する企業に勤め、88年に株式会社光通信を創業。

当時は第二電電の契約取次ぎ代理店から社業を開始し、携帯販売事業を手掛けることで急激に企業を成長させました。携帯普及の大波に乗ったわけです。

96年に31歳で株式を店頭公開。99年に東証一部上場。ただ、大量の携帯電話の架空契約などによる株価急落という大事件も引き起こしました。

その後、2000年以降は事業を再建。シャープの複写機販売・リースを手がけ、04年には黒字化を実現しています。

波あり谷ありの人生を生きている大富豪です。

6位:安田隆夫 ドン・キホーテ創業者

1949年に岐阜県に生まれ、73年に慶大法学部を卒業。

78年、東京・杉並区にディスカウントショップ「泥棒市場」を開業。深夜営業で成功。

80年に小売の株式会社ジャスト(現:株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)を設立。

89年、東京・府中市にドン・キホーテ1号店を開業。

その後、95年に商号を株式会社ドン・キホーテに変更。

98年に東証二部上場。2000年に東証一部上場。

05年9月、株式会社ドン・キホーテの代表取締役会長兼CEOとなる。

15年6月に代表取締役会長兼CEOを退任し、創業会長兼最高顧問となった。

**【現在の状況】**
安田氏退任後も、ドン・キホーテブランドは日本国内での成長を続けており、2019年には米国のディスカウントチェーン大手を買収するなど、海外展開も積極化しています。

7位:高原豪久 ユニチャーム二代目

高原豪久氏は二代目社長の成功例です。

ユニ・チャームは、ベビーケア用品(オムツ等)、生理関連用品、大人用排泄介護用品、掃除用品(シートクリーナー等)、ウェットティッシュ、立体型マスク、ペットケア用品などを手がけています(*近年は中国を軸にしたアジア展開に注力)。

高原氏はユニチャーム創業者である高原慶一朗氏から事業を継ぎ、企業のグローバル化を進め、業績を拡大しました。

高原氏は1961年に愛媛県に生まれ、若い頃に米国に1年間留学しています。

その時、欧米企業のスケールの大きさを見て対抗意識を燃やし、欧州・米州・アジアのうち、これから最も伸びるのはアジアだと考えました。

大学卒業後、銀行に入社し、その後にユニチャームに入りましたが、当時は大企業病で社員の活力が下がっていたようです。

高原氏は、経営の重責を担うと「本業多角化、専業国際化」という方針を掲げます。

不織布と吸収体の加工成形技術に経営資源を集中させ、そこから派生した事業を育成し、競争力の強い事業を海外展開していきました。

39歳で社長に就任した頃は、整理した事業の役員だけでなく、父とも確執が起きましたが、この方針を断行。

その結果、世界80カ国以上に進出し、ベビー用紙おむつや生理用品市場でシェアを獲得。

2017年にはこの分野で「アジア1位、世界三位」とも報じられていました(フォーブス誌)。

フォーブス記事によれば、その勝ちパターンは成長市場に対しては、「小さく生んで、大きく育てる」こと。

「"1─10─100″が私のモットー。計画を立てる労力が1だとすると、計画の実行には10倍、成功させるまでには100倍のエネルギーがかかります」

高原はそう熱弁しています。

その経営理念や行動原則は「ユニ・チャームウェイ」としてまとめられ、全世界で共有されています。

8位:関家一馬(株)ディスコ代表取締役会長

関家一馬は株式会社ディスコの代表取締役会長を務めています。

1988年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、89年にディスコに入社。95年に取締役に就任。

株式会社ディスコは、1937年に関家 三男氏(関家 一馬氏の祖父)が創業した、精密加工装置メーカーです。

半導体製造装置や精密加工ツールなどを主力製品とし、世界中の企業に製品を提供しています。

**【現在の状況】**
ディスコは半導体需要の拡大により業績が好調に推移しており、AI・5G関連の半導体製造装置需要の恩恵を受けています。関家氏の経営のもと、技術開発力の強化と海外展開を進めています。

9位:伊藤兄弟 イトーヨーカ堂創業家

伊藤雅俊は2020年に創業100周年を迎えたイトーヨーカ堂の創業者です(その資産の後継者が伊藤兄弟)

今では、グループ事業のうち、セブンイレブンのほうが主力になっていますが、その創業の精神は「お客様は来てくださらないもの。お取引先様は(商品を)売ってくださらないもの」という、実母の言葉に由来するそうです。

個人商店の時代から、兄とともに事業を経営し、戦後、百貨店のヨーカドーを全国に展開する規模にまでの発展を遂げました。

今は百貨店よりもコンビニが栄え、さらにEコマースが台頭する時代になってきています。

**【現在の状況】**
セブン&アイ・ホールディングスは、国内コンビニ事業の堅調な成長に加え、デジタル戦略の強化やオムニチャネル化を推進しています。近年はAmazonなどECとの競争が激化しており、リアル店舗の価値向上が課題となっています。

その創業の精神に基づいて事業繁栄を続けていけるかどうかが、まさに試されています。

10位:森章 都市開発やホテル経営に注力

森章(もりあきら)は森トラストの会長です。

森ビル創業者・森泰吉郎の三男として生まれ、87年に社長に就任。16年に娘の伊達美和子に社長職を譲りました(なお、兄の森稔は森ビル社長)。

森トラストと森トラスト・ホテルズ&リゾーツを核にした森トラストグループは都心での大型複合開発やリゾート地でのホテル開発・運営を展開しています。

**【現在の状況】**
森トラストは、都心部での再開発プロジェクトやインバウンド需要回復を見据えたホテル事業の拡充を進めています。脱炭素社会に向けた環境配慮型の都市開発にも力を入れています。

11位:毒島秀行 SANKYO

毒島秀行は、パチンコメーカーの三共を創業した毒島邦雄(ぶすじま くにお、1925ー2016年)から資産を継承しました。

2008年より同社のCEOを務めています。

毒島邦雄は群馬県に生まれ、戦後すぐに三共電機製作所を開業しました。

さらに、三共運送や桐生フードセンター、三共技研などを創業し、平和工業の常務を経たあと、1966年に三共製作所をつくりました。

95年には東証2部に上場、97年には1部上場。

SANKYOはフィーバー台で成長し、開発力に定評あるパチンコ機製造大手として事業を拡大していきました。

**【現在の状況】**
パチンコ業界は人口減少や娯楽の多様化により市場が縮小傾向にありますが、SANKYOは技術力を活かしたデジタル化やアミューズメント分野への展開を模索しています。

12位:三木谷浩史 楽天経済圏の進化とAI革命への挑戦

1965年に神戸に生まれた三木谷は一橋大学を卒業し、日本興業銀行に入行しました。

28歳の時にハーバード大学でMBAを取ると、「一度きりの人生で悔いを残したくない」と起業を決意し、95年に興銀を退職。

96年に株式会社クリムゾングループを設立。97年に楽天の前身にあたる株式会社エム・ディー・エムを創業し代表取締役に就任しました。

(*ショッピングモール「楽天」の命名は織田信長の「楽市・楽座」にちなむ)

楽天はオープンから1年で出店数200を超える日本最大級のオンライン・ショッピングモールに成長し、2000年には株式の店頭公開を果たしました。

2000年代にはライブドアとの競争に勝ち、日本の新興企業の雄としての地位を確立しています。12年には「新経済連盟」の代表理事となるなど、財界活動も始めました。

もともとはイーショップが基盤ですが、最近は金融(証券など)や携帯分野への進出など、活動は幅広くなっています。

楽天ブックス、電子出版(コボ)、楽天ゴールデンイーグルス、Jリーグ・ヴィッセル神戸、楽天Edy、楽天証券などです。

「ネットショッピングなんて」「日本で電子出版なんて」「新興企業が球団なんて」といわれながらも、「やってのける力」で道を開いた三木谷は、どこまで楽天経済圏を拡大できるのでしょうか。

近年は、携帯事業にも参入。日本郵政とテンセントからの出資を得て、安い料金プランでの5Gスマホの普及に力を尽くしています。

**【2024-2025年の最新動向】**

楽天グループは2024年12月期に5年ぶりの営業黒字を達成し、特に重荷だった楽天モバイルは2024年12月に単月黒字化を達成しました2025年度には楽天モバイルの通期黒字化の実現可能性が「極めて高い」とし、そのために約1500億円の設備投資を行う計画です

三木谷氏は、楽天モバイルの800万人超のユーザーから得られるデータを活用し、AI事業の成長につなげる戦略を強調しています楽天グループでは「AIの民主化」を目指し、独自の技術基盤・AIソリューション「Rakuten AI」を始動させています

「三木谷キャンペーン」として知られる楽天モバイル特別キャンペーンを継続展開し、顧客獲得を積極化2025年中に楽天モバイルの契約者数1000万回線達成を予定しています。

三木谷氏は困難な携帯事業を乗り越え、AI時代の楽天経済圏構築という新たなステージに挑戦しています。

13位:野田順弘 オービック代表取締役会長

野田順弘(のだ まさひろ)はオービックの代表取締役会長です。

1938年に奈良県に生まれ、61年に関西大学経済学部を卒業後、68年に妻とともに大阪ビジネスカンパニーを創業(のちのオービック)。

文化にも造詣が深く、日本中央競馬会 (JRA) の馬主も務めています。

**【現在の状況】**
オービックは企業向けシステム開発で長年安定した業績を維持しており、DX(デジタルトランスフォーメーション)需要の拡大により新たな成長機会を迎えています。

14位:三木正浩 ABCマート創業者

三木正浩(みき まさひろ、1955年生)は靴小売のABCマート創業者で、イーエムプランニング会社代表を務めています。

三重県伊勢市の不動産業や飲食業を営む家に生まれ、28歳の時に東京の早稲田で靴と衣料品の輸入販売を手がける株式会社国際貿易商事を設立。

1986年にロンドンでブーツブランド「ホーキンス」の日本代理店契約に成功。

国内総代理店となり、調達ルートを自前で開拓し、韓国や中国などでの製造と中間業者へのマージンを削減し、低価格販売に成功。

1990年に小売業に進出。その後、カリフォルニア州のスケートボード靴メーカーVansの国内総代理店となる。

2002年に卸業から小売に業態を転換し、大規模に出店し、シェアを拡大(東証一部上場)

三木は2007年にABCマート会長を52歳で退任。その後は投資で資産を拡大している。

**【現在の状況】**
ABCマートは三木氏の退任後も国内シューズ小売業界でトップシェアを維持しており、近年はデジタル化やオムニチャネル戦略を推進して競争力を強化しています。

ランキングから見える日本経済の特徴

富豪の高齢化

データを見ると1位~5位が1兆円以上です。
6位~20位が4000~8000億円、
21位以降が4000億円以下なので、トップ層とそれ以外のメンバーとの差が非常に大きいことが分かります。
そして、一番多いのは70代という構成になっています。

  • 90代が3名
  • 80代が12名
  • 70代が16名
  • 60代が9名
  • 50代が1名
  • 40代が1名

これは50代で若いと言われる日本政界を思い出させる年齢構成です。49歳の前澤友作氏を除けば、若手のスタートアップ経営者がトップ層に入り込むのは依然として難しい状況が続いています。これは、新しい産業が生まれにくい日本の経済構造を反映しているのかもしれません。

都道府県別の長者番付は?

「東京都の長者番付は?」「大阪府は?」といった地域別のランキングに関心を持つ方もいるかもしれませんが、フォーブスの長者番付は国別発表なので公式な都道府県別のリストはありません。ただし、ランキング上位者の多くは、本社機能が集中する東京都に居住または拠点を置いているケースがほとんどです。柳井正氏、孫正義氏、三木谷浩史氏など、多くの資産家が東京をベースに活動しています。その一方で、滝崎武光氏のキーエンス(大阪)、佐治信忠氏のサントリー(大阪)、永守重信氏のニデック(京都)など、関西を拠点とする企業も多くランクインしており、日本の富が必ずしも東京一極に集中しているわけではないことも示唆しています。

Posted by 南 一矢