日本の長者番付一覧:2025年版資産家(お金持ち)ランキング 1位~50位

政治経済

日本の資産家のランキング(TOP50まで)をフォーブス誌のデータを使って確認してみます。

2025年の6月3日にフォーブス誌は日本の長者番付を更新。このランキングは、個人の資産を多角的に評価しているので、日本のお金持ちの実像を知る上で非常に有益な情報源です。

日本円換算すると、上位3人の資産額は以下の通りでした。

  1. 柳井正:7兆円
  2. 孫正義:4兆930億円
  3. 滝崎武光:3兆円

日本の国税庁は「高額納税者ランキング」を2005年以降、公表しなくなったので、芸能人やスポーツ選手などの高額納税者が誰かも分かりにくくなりました。そのため、フォーブスの総資産ランキングは貴重な情報源になっています。

【*高額納税者ランキングとの違い】

  • 評価基準:長者番付は「総資産額」、高額納税者ランキングは「所得税額」が基準です。資産が多くても、その年の所得が少なければ高額納税者ランキングには載りません。
  • 情報源:長者番付はフォーブス誌による調査、高額納税者ランキングは国税庁の公式発表でした。

この違いにより、スポーツ選手や芸能人など、その年の所得が高い人々が上位になりやすかった高額納税者ランキングに対し、長者番付は大企業の創業者や経営者が名を連ねる傾向にあります。

それでは、日本のお金持ちのトップ層は、どんな顔ぶれなのでしょうか。

日本の富豪・資産家ランキング TOP50(2025年版)

・出所はフォーブス誌は日本の長者番付
・フォーブスの長者番付は、単に年収や納税額を基にしておらず、本人や家族、財団が保有する株式、不動産、芸術品、現金など、あらゆる資産を評価して算出している。非公開企業の価値評価も含まれるため、より実態に近い「総資産」のランキングだとも言える
(※は一家・親族を含む。高原豪久のような二代目経営者の場合、事業継承前のデータは父の高原慶一朗の資産額を記載。H=ホールディングス)。

氏名 資産額 社名
1 柳井正 70000 ユニクロ 76
2 孫正義 40930 ソフトバンク 67
3 滝崎武光 30000 キーエンス 79
4 佐治信忠 15200 サントリーH 79
5 重田康光 10000 光通信 60
6 安田隆夫 7840 ドンキホーテ 76
7 高原豪久 7690 ユニ・チャーム 63
8 関家一家 7260 ディスコ
9 伊藤兄弟 7110 セブン&アイ・H
10 森章 6820 森トラスト 88
11 毒島秀行 6680 SANKYO 72
12 三木谷浩史 6390 楽天 60
13 野田順弘 6310 オービック 86
14 三木正浩 5950 ABCマート 69
15 小川賢太郎 5660 ゼンショーH 76
16 似鳥昭雄 5150 ニトリH 81
17 上月景正 5080 コナミH 84
18 大塚裕司 5010 大塚商会 71
19 襟川陽一・恵子 4790 コーエーテクモH 74、76
20 永守重信 4060 日本電産 80
21 森佳子 3920 森ビル 84
22 宇野正晃 3770 コスモス薬品 78
23 元谷外志雄 3340 アパグループ 81
24 島野容三 3190 シマノ 76
25 福嶋康博 3120 スクウェア・エニックス・H 77
26 多田勝美 3050 大東建託 79
27 荒井正昭 2900 オープンハウス 59
28 島村恒俊 2760 しまむら 99
29 多田兄弟 2690 サンドラッグ
30 中谷一家 2610 シスメックス
31 土屋嘉雄* 2540 ベイシアグループ
32 辻信太郎 2470 サンリオ 97
33 吉田嘉明 2390 ディーエイチシー 84
34 宇野康秀 2320 U-NEXT H 61
35 辻本憲三 2310 カプコン 84
36 木下一家 2290 アコム
37 金子文雄 2280 大栄環境 68
38 小林兄弟 2250 コーセー
39 前澤友作 2180 ZOZO 49
40 内山一家 2160 レーザーテック
41 里見治 2150 セガサミーH 83
42 竹中統一 2100 竹中工務店 82
43 飯田和美 2030 飯田グループH 85
44 和田成史 1960 オービック 72
45 粟田貴也 1890 トリドールH 63
46 松井道夫・千鶴子 1810 松井証券
47 韓昌祐 1800 マルハン 94
48 石橋寛 1770 ブリヂストン 78
49 永田久男 1760 トライアルH 69
50 栗和田榮一 1740 SGホールディングス 78

日本の富豪1位~50位の資産額の変動

さらに、過去データを用いてベスト50位の顔ぶれと、資産の変動を見てみます。

これを見ると歴代でランキングの上位に残っている人が誰かが分かります。

(※は前節と同じく一家・親族を含む、単位は億円)

氏名 2025 2024 2023 2022 2021
1 柳井正 70000 59200 49700 30500 46270
2 孫正義 40930 42000 29400 27270 48920
3 滝崎武光 30000 32700 31700 27920 28420
4 佐治信忠 15200 14500 14500 12020 10690
5 重田康光 10000 6530 5200 4010 5620
6 安田隆夫 7840 6380 4630 3360 4410
7 高原豪久 7690 9650 1530 8270 8810
8 関家一家* 7260 11500 4210 2590
9 伊藤兄弟 7110 6230 6600 5620 4520
10 森章 6820 6460 4140 4140 4300
11 毒島秀行 6680 5990 5760 5430 4850
12 三木谷浩史 6390 5450 5060 5690 8260
13 野田順弘 6310 5140 5480 4520 4740
14 三木正浩 5950 6300 5400 3880 4080
15 小川賢太郎 5660 3890 2950 1870 1870
16 似鳥昭雄 5150 5920 5620 3750 5730
17 上月景正 5080 2720 2020 2070 1820
18 大塚裕司 5010 4830 4350 2840 3420
19 襟川陽一・恵子 4790 2800 3860 3230 3640
20 永守重信 4060 5290 5340 5950 9920
21 森佳子 3920 3420 2090 1490 1420
22 宇野正晃 3770 2960 3230 2520 3530
23 元谷外志雄 3340 2650
24 島野容三 3190 3740
25 福嶋康博 3120 2350 2670 2000 2310
26 多田勝美 3050 3110 3020 3100 2540
27 荒井正昭 2900 2340 2810 2460 2530
28 島村恒俊 2760 2200 1900 1620 1760
29 多田兄弟 2690 3110 3020 3100 2540
30 中谷一家* 2610 1710 1970 1810
31 土屋嘉雄* 2540 2180 3090 2550 4190
32 辻信太郎 2470
33 吉田嘉明 2390 2130 2180 1330
34 宇野康秀 2320 1760
35 辻本憲三 2310 1630 1690
36 木下一家* 2290 2410 2040 1940 2860
37 金子文雄 2280 2020 1540
38 小林兄弟 2250 2880 3930 2970 3970
39 前澤友作 2180 2100 2390 2200 2090
40 内山一家 2160 4980 2530 2330 2260
41 里見治 2150 1650 2010 1600 1310
42 竹中統一 2100
43 飯田和美 2030 1770 2050 1680 2040
44 和田成史 1960 1740 1490 1240 1710
45 粟田貴也 1890 1560
46 松井道夫・千鶴子 1810 1810 1760 1730 1740
47 韓昌祐 1800 1860
48 石橋寛 1770 1870 1620 1360
49 永田久男 1760 2260
50 栗和田榮一 1740 1730 2460 2530 2480





長者番付ベスト15の横顔(2025年版更新)

1位:柳井正 今後の戦略は?

柳井正

柳井正(1949年生まれ)は、父が営んでいた小郡商事(紳士服店)を継いで事業を拡大し、1984年に広島・本通りで「ユニクロ」1号店を開きました。その後「安く、良く、普遍的(MADE FOR ALL)」という理念を衣料に落とし込むべく、SPA(製造小売り)モデルを全面化。素材開発から企画・生産・物流・販売までを垂直統合した「ユニクロ型SPA」を磨き上げ、グローバルに拡大します。

FRは上場後も、ヒートテックやウルトラライトダウンに象徴される機能性・定番化戦略を深化。店舗網とECを結ぶ"在庫一体運用"、サプライチェーンの計画精度向上、迅速な補充・展開を通じ、「適品・適量・適地・適価」を実現するオペレーションを構築しました。これにより、国・地域や気候変化に応じた商品投入、需要の山谷に応じた補充・価格のきめ細かい運用が可能となります。

今日のファーストリテイリング(以下FR)は「LifeWear(服を、生活のための"生活必需インフラ"にする)」をコア理念に、機能素材や定番商品の改良を積み重ねる設計思想を採っています。

【2024-2025年の最新動向】
柳井は2025年現在もファーストリテイリングの代表取締役会長兼社長を継続。2024年8月期に同社は初めて売上高3兆円を突破し、営業利益5009億円を計上する過去最高業績を更新。2025年8月期は売上収益3兆4000億円(前期比9.5%増)、営業利益5300億円(同5.8%増)の増収増益を見込んでいます。

柳井氏は「挑戦しない大企業にはなりたくない」と述べ、世界一のブランドを目指しています。同社では「FGLイニシアティブ」「MIRAIプロジェクト」等の次世代リーダー育成プログラムを実施し、後継者育成に取り組んでいます。

なお、2017年の日経報道では「2年後に会長専念」という方針が報じられましたが、2025年現在も柳井氏は代表取締役会長兼社長として経営の第一線に立ち続けています。後継者については「執行役員など内部から選ぶ」という基本方針を維持しつつ、「創業者に引退はない」と述べ、将来的には会長職としてアドバイスする立場を続ける意向を示しています。

柳井は2018年に『トヨタ物語』(野地秩嘉著)を読み、「自分はまだまだ甘い」と感じ、ユニクロをトヨタに負けない大企業に発展させる決意を新たにしたとも述べています。トヨタは初代(豊田佐吉)から二代目(豊田喜一郎)、三代目への事業継承に成功しているからです。

【出典】
・ファーストリテイリング「2024年8月期決算短信」(2024年10月10日発表)
・日本経済新聞電子版「ファストリ柳井、2年後に会長専念 社内から社長」(2017年10月21日付)
・ファーストリテイリング「統合報告書2024」(2024年12月発行)

2位:孫正義 通信業界の雄から投資事業へ、そしてAI革命へ

孫正義

孫正義は、19歳の頃、初めてマイクロプロセッサーを雑誌で見て、感動のあまり路上で泣いたとも述べています。「これで人類の生活が一変する。人類最大のイノベーションだ」(『フォーブスジャパン』2018年3月号、P49)この時、産業革命に次ぐ情報革命が起きると直感したのです。

孫はカリフォルニア大在学中に音声翻訳機の特許売却で得た資金を元手にして、1979年にベンチャー企業を創業。80年に卒業し、この企業を売却して帰国後、ソフトバンクを設立しました(81年)。当初はパソコンソフトの卸売を行い、パソコン関連の出版業にも業務を拡大。

96年には米ヤフーに出資し、合弁事業でYahoo! JAPANを立上げました(98年に東証一部に上場)。ネットビジネスに乗り出し、放送、通信、金融などでM&Aを行い、事業を拡大していきます。99年のAlibaba出資など、一貫して"ネットのレバレッジ"に賭けた意思決定を重ね、今日の基盤を形づくりました。

孫は、この頃にYahoo!BBを設立し、最安価なADSLのネット接続サービスを提供。さらに、固定電話会社の日本テレコムを買収、携帯電話事業への参入表明などで業界に旋風を起こし、06年に英通信会社ボーダフォンの日本法人を買収しました(ソフトバンクモバイルに社名が変わる)。

近年は投資持株会社としての性格が鮮明化。2016年にArmを約3.3兆円で買収(2023年9月にナスダック上場で部分放出)、2017年に「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」を設立。サウジアラビア等の協力を得て、世界中のスタートアップへの年間投資額に匹敵する10兆円規模のファンドをつくりました(AI活用による市場拡大と新産業創出に着目し、各分野のリーダー企業に投資し、シナジー効果を狙う「群戦略」を掲げた)。

その投資先はワンウェブ(米衛星通信)、フリップカート(インドのネット通販)、ボストン・ダイナミクス(ロボット)、OSIソフト(産業用IoT)等で、1社あたり1000億円規模の見込みです(米ウーバーへの投資は1兆円規模)。しかし、2020年の株安が直撃し、孫氏は大打撃を受けました。2021年には中国株が失速。2022年にはテクノロジー銘柄の株価が下がり、同社は難しい局面に立たされました。

【2024-2025年の最新動向】

その後、ソフトバンク・ビジョン・ファンドは投資戦略を大幅に見直し、かつての「法外な値札をつける」投資から、より慎重で「恐る恐る」の投資スタイルに転換しました。2024年10月の「SoftBank World 2024」では、AI分野への投資に再び注力する姿勢を示しています。

2025年1月、OpenAIと共同で総額75兆円規模の「Stargateプロジェクト」を発表。米国内に5つの新AIデータセンター拠点を設立し、今後3年間で4000億ドル超の投資を行う計画です。2025年7月の「SoftBank World 2025」では、「年内に10億のAIエージェントを作る」と宣言。AI演算能力が「10億倍」に達するという予測を示し、「10年以内に超知性(ASI:人工超知能)が実現する」という大胆な未来像を描いています。

「人工超知能(ASI)時代の"プラットフォームの組織者"になる」と株主総会で明言。マイクロソフトやアマゾン、グーグルのような勝者総取りのダイナミクスを引き合いに、AIサプライチェーン全体の組成(半導体、インフラ、モデル、アプリまでの垂直・水平連携)を自社の役割と位置付けています。

【出典】
・ソフトバンクグループ「2024年度第3四半期決算説明会資料」(2025年2月7日発表)
・「SoftBank World 2024」基調講演(2024年10月15日実施)
・「SoftBank World 2025」基調講演(2025年7月開催)
・フォーブスジャパン2018年3月号
・各種報道「Stargateプロジェクト」(2025年1月21日発表)

3位:滝崎武光 退任後もキーエンスは驚異的成長を継続

滝崎武光(1945年6月10日生まれ)は1972年にリード電機(現キーエンス)を創業。工場自動化(FA)向けセンサ・計測機器の分野で起業し、後のキーエンスにつながる事業を築きました。74年に株式会社へ改組して事業を本格化させ、米国(1985年)や中国を含む海外拠点を順次拡大し、世界規模でセンサ・画像処理・レーザーマーカ・三次元測定・顕微鏡・コードリーダーなどの高付加製品を供給する体制を敷きました。

滝崎は2015年に会長を退任するも、取締役・名誉会長として在籍。現在の執行トップは中田有(代表取締役社長)で、滝崎はボードメンバーとしてガバナンス側に位置づけられています。

キーエンスは、FAセンサー等の検出・計測制御機器大手です(*FA=工場の自動化。ファクトリー・オートメーションの略)。その人工知能(AI)搭載画像判別センサーは超小型なのに、自動で明るさや焦点、検出設定等を計測・数値化し、瞬時に「良品・不良品」の判別を行います。立体物の情報を周囲から計測・数値化する3Dスキャナー型三次元測定機、自動倉庫システムなども手がけています。

キーエンスは自らを「FAの総合メーカー」と定義し、1974年の設立以来「付加価値の創造により社会へ貢献」という理念を公式に掲げてきました。製品群はFA用センサ、画像処理・測定、レーザーマーカ、研究開発用顕微鏡など汎用性の高い"標準品"が中心で、個別カスタムよりも汎用度の高い標準製品を大量に提供することで、開発の再利用性・保守の効率・供給の安定性を高めてきたと言えます。

キーエンスは、工場を持たずに生産を委託する仕組みと、直販体制でのコンサル・提案営業を両立。大きな権限を持った営業スタッフが顧客の生産現場に入ってコンサル営業を行い、顧客ニーズを開発部門に伝え、高付加価値の新製品を生み出していきます(顧客現場に深く入り込んで課題を吸い上げ、短いサイクルで「製品企画→開発→改良」に反映させる)。

同社の2024年度の連結営業利益率は51.9%、自己資本比率94.5%と極めて強固でした。

滝崎氏は創業時から「自分はカリスマではない」と述べ、属人化を極力排除した組織づくりに徹してきました。キーエンスでは社長のことを「社責」(会社の責任者)、部長を「部責」と呼び、「長=一番偉い人」という印象を持たれたくないという考えを貫いています。滝崎氏は現在キーエンス財団の理事を務め、学業優秀かつ品行方正な学生に対し返済不要の給付型奨学金を提供しています。年間500名に月額8万円、4年間で総額19億2000万円を奨学金として給付する素晴らしい社会貢献活動を行っています。

【出典】
・キーエンス「2024年3月期有価証券報告書」(2024年6月14日提出)
・キーエンス「2024年3月期決算短信」(2024年4月25日発表)
・キーエンス財団公式サイト「奨学金制度について」(2025年1月確認)

4位:佐治信忠 サントリー

佐治信忠(1945~)はサントリーを発展させた元会長の佐治敬三(1919-1999)の後を継ぎました。

サントリーの歴史を振り返ると、1899年に鳥井信治郎が鳥井商店として大阪に創業(その後、何度も社名が変わる)。酒類の製造・販売を手がけ、1946年に「トリスウイスキー」を発売。これは日本でウイスキーが普及するきっかけとなりました。1963年にはサントリーに社名変更し、武蔵野ビール工場を完成させてビール製造にも進出しています。

佐治敬三は、この頃、1967年に日本で初めてビール酵母の熱処理殺菌なしの「生ビール」をつくり上げ、1986年には100%麦芽のビール「モルツ」を発売。しかし、87年にはアサヒビールが「スーパードライ」を発売し、サントリーのビール事業は赤字化していきます。敬三は「商いとは『飽きない』こっちゃ」と述べ、赤字続きのビール事業の再生に執念を燃やしたものの、生前にその黒字化を見ることはできませんでした。

信忠はその試みを引き継ぎ、「ザ・プレミアム・モルツ」を開発し、2008年に黒字化を達成します。この父子は、日本における事業継承の有名な成功例となりました。

信忠は海軍で技術将校をしていた父を「学者タイプ」と評しました(NIKKEI STYLE 2016年7月21日付)。「創業者の祖父(鳥井信治郎)は根っからの商売人だったが、おやじは実はそうではないんです。たぶん、研究者になりたかったんでしょう。経営者になり、ずいぶん努力したんでしょうね」

そして、敬三の業績として「ビール事業への参入」を挙げています。「それで今のサントリーがある。ウイスキーだけだったらつぶれていたでしょうね。ウイスキーは手工業的な世界ですが、ビール事業に参入したことでサントリーは近代的な企業に生まれ変わった」

信忠は資金の回転も早く、難しい装置産業であるビール事業で父が会社を変えたことに敬意を表しています。

そして、2001年にサントリー社長(のち持株会社化)に就任し、海外M&Aと事業ポートフォリオの多角化を加速。2014年の米ビーム社の買収では総額約160億ドルの大型案件をまとめ、ウイスキーを中心とするグローバル酒類事業の中核を築きました。現在はサントリーHDの代表取締役会長としてボードの監督に軸足を置いています。

2014年の買収後、米ビーム社はグループの酒類中核会社となり、2024年4月に社名を「Suntory Global Spirits」へ刷新。ニューヨーク発の公式リリースは、買収10年での「持続的・収益的な成長」を背景に、ビーム由来のバーボン(Jim Beam、Maker’s Mark)と日本ウイスキー(山崎・白州・響)などを束ねる"世界プレミアム戦略"を掲げています。

【出典】
・サントリーホールディングス「統合報告書2024」(2024年9月発行)
・日本経済新聞電子版 NIKKEI STYLE「ビールに執念の遺伝子 サントリー佐治、父を語る」(2016年7月21日付)
・Suntory Global Spirits プレスリリース「社名変更のお知らせ」(2024年4月1日付)

5位:重田康光 波乱万丈の「光通信」創業者

重田康光は1965年に生まれ、はり灸の専門学校を中退、さらに日本大学を中退。そこから億万長者になるという、かなり破天荒な経歴を誇っています。

電話加入権を販売する企業に勤めた後、88年に株式会社光通信を創業し、OA機器・電話の販売・リースを手がけました。その後、長距離通話の取次(1988年7月)、複写機・FAX(1990年)、PC周辺機器(1991年)とビジネスを広げ、1993年に携帯電話の回線取次を拡大、1994年に端末販売、1995年にPHSの販売・取次と、通信・OAの"現場営業"で裾野を広げました。

1996年2月に日本証券業協会に株式登録(店頭市場)、1999年9月に東証一部へ上場と資本市場でも存在感を強めます。

1990年代後半~2000年にかけて、光通信は携帯普及の追い風と店舗網の急拡大で"新経済"の象徴となりましたが、2000年前後に営業実態と会計・販売慣行への市場の疑念が噴出しました。海外主要紙は、「携帯の"寝かせ"=実需なき契約の大量計上(架空契約)」などを背景に株価が数カ月でピークの1%未満に沈んだと報じています(The Guardian、2000年11月24日付)。また2000年夏には店舗の大量閉鎖・業績下方修正が相次ぎ、特別損失計上やリストラに踏み切りました(The Japan Times、2000年8月)。

こうした混乱期を経て、同社は販売後に継続課金が発生する領域へと軸足を移しました。

2003年に二代表制導入、2009年から自社商品の拡販、2015年にプレミアムウォーターHD(宅配水)を子会社化、2017年に電力小売を拡大、2019年に保険(さくら損保)の一般免許取得など、通信回線に限らない"月次課金"の束ね方を示し、2022年には東証再編でプライム市場へ移行。報酬・投資・監督に関する委員会設置でガバナンスも拡充しました。

現在の事業セグメント(法人サービス/個人サービス/取次販売)は、SMB向け通信・電力・各種システム(法人)と、個人向け通信回線・宅配水(個人)、保険・メーカー商品の販売(取次)などで構成されます。同社のコアは販売後に生まれる使用料・手数料の積み上げ=「ストックビジネス」であり、統合報告書でも「継続収益と株主還元を意識した資本コスト経営」を掲げています。

【出典】
・光通信「統合報告書2024」(2024年6月発行)
・東京証券取引所「有価証券報告書」(2024年6月28日提出)
・The Guardian “Hikari Tsushin shares plunge"(2000年11月24日付)
・The Japan Times “Hikari Tsushin to close stores"(2000年8月)

6位:安田隆夫 ドン・キホーテ創業者

1949年に岐阜県に生まれ、73年に慶大法学部を卒業。78年、東京・杉並区にディスカウントショップ「泥棒市場」を開業。深夜営業で成功(当時、コンビニは23時閉店が一般的だった)。80年に小売の株式会社ジャスト(現:株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス)を設立。

89年、東京・府中市にドン・キホーテ1号店を開業。その後、95年に商号を株式会社ドン・キホーテに変更。98年に東証二部上場。以降、安田は社長として全国展開を主導し、2005年に会長兼CEOに就任(2000年に東証一部上場)。15年6月に代表取締役会長兼CEOを退任し、創業会長兼最高顧問となりました。

持株会社の公式プロフィールによれば、その設立は1980年9月5日、創業者は安田隆夫。現在の代表は森谷英樹 社長兼CEO、鈴木康介 COOで、PPIHの本社は渋谷区道玄坂。資本金236億89百万円(2025年6月30日現在)。グループの海外統括会社群(シンガポール、香港、マレーシア、タイ、米国など)を束ね、ディスカウント(Don Quijote/MEGAドンキ/DON DON DONKI)、GMS(UNY/アピタ・ピアゴ)、食品スーパー(米国)までを擁する小売企業体に発展しています。

PPIHの海外は大きくアジアと米国の二面展開。アジアでは"日本食品・和素材に特化したDON DON DONKI"が主力(2017年のシンガポール1号店開業以降、香港、タイ、台湾、マレーシアに広がる)。

米国では2006年のハワイ進出後、2013年にMARUKAI(ロサンゼルス)を取り込み、2017年にハワイのQSI(Times Supermarkets等、24店)を買収して食品スーパー網を拡大。2021年には南カリフォルニアの高級スーパー「Gelson’s Markets」を取得し、米国での"食"のプレゼンスを高めました。

PPIHは2018年、FamilyMart UNYとの提携の下で「ユニー」を連結子会社化(UNYの60%取得)し、総合スーパー(GMS)のアピタ/ピアゴをMEGAドンキUNYなどに業態転換。2019年2月に持株名をPPIHへ変更し、「ディスカウント×GMS」の相互補完体制を完成させました。

同社HPの創業者メッセージでは、PPIHの行動規範『The Source(源流)』を公表し、(1)顧客最優先、(2)創造的破壊、(3)権限委譲(Trust & Entrustment)、(4)深夜需要の発見、(5)驚安演出(バラエティ陳列)といった"売り場哲学"を体系化。「大企業病への自己警戒」という言葉を通して、規模が拡大しても、現場の裁量とスピードを死守する姿勢を示しています。

【出典】
・パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス「有価証券報告書」(2024年9月27日提出)
・PPIH「統合報告書2024」(2024年10月発行)
・PPIH公式サイト「企業情報」(2025年1月確認)

7位:高原豪久 ユニチャーム二代目

高原豪久は1961年、愛媛県生まれ。父は創業者の高原慶一朗(ユニチャーム創業:1961年)。

ユニチャームは不織布と吸収体のコア技術を共通基盤とし、ベビー用紙おむつ/フェミニンケア/大人用排泄ケア/ペットケア/ウェルネスケア(マスクやウェットティッシュ等)の多分野に水平展開しています("専業多角化")。

高原豪久は1991年にユニチャームへ入社し、フェミニンケア事業や調達・国際部門の要職を経て、2001年に社長、2004年以降、社長兼CEO(President & CEO)としてグローバル化を主導。創業者である高原慶一朗から事業を継ぎ、業績を拡大しました。その経営方針の背景には、アジアの人口成長と所得上昇を見据えた「専業国際化」の構想があります。

高原豪久は1961年に愛媛県に生まれ、若い頃に米国に1年間留学しています。その時、欧米企業のスケールの大きさを見て対抗意識を燃やし、欧州・米州・アジアのうち、これから最も伸びるのはアジアだと考えました。

就任当初から「本業多角化、専業国際化」を提唱。コア技術=不織布×吸収体の周辺で"本業"を広げ(多角化)、それらを新興国・アジアを起点に水平展開(国際化)を目指しました。1990年代後半から東南アジア・インド・中東に進出し、"小さく生んで大きく育てる"ローリング投資で地域最適→生産移管→ブランド定着を繰り返し、アジアでのプレゼンスを拡大し、世界を目指しました。

同社の四半期説明資料(2024年1Q)では、インドのベビー・フェミニンケアが牽引、中国のフェミニンケアが新製品投入で回復軌道、中東・北米ペットケアも堅調と、非日本の複数市場が同時に成長ドライバーになっています。一国依存ではなく"多極型"で需要の波を平準化するのが最近の特徴です。

2017年のフォーブスジャパンのインタビュー記事(2017年5月号)によれば、その勝ちパターンは成長市場に対して、「小さく生んで、大きく育てる」こと。「"1─10─100″が私のモットー。計画を立てる労力が1だとすると、計画の実行には10倍、成功させるまでには100倍のエネルギーがかかります」

現地の制度・流通・購買習慣に合わせて試作→テスト販売→ライン増設→ブランドへの投資を段階的に重ね、撤退コストを最小化しながら"連続的成功確率"を高めるのがユニチャーム流です。そうした経営理念や行動原則は「ユニ・チャームウェイ」としてまとめられ、全世界で共有されています。

【出典】
・ユニチャーム「統合報告書2024」(2024年4月発行)
・ユニチャーム「2024年第1四半期決算説明資料」(2024年5月9日発表)
・フォーブスジャパン2017年5月号「高原豪久インタビュー」(2017年3月25日発売)

8位:関家一馬 ディスコ代表執行役社長

株式会社ディスコは、1937年に関家三男氏(関家一馬氏の祖父)が創業した、精密加工装置メーカーです。半導体製造装置や精密加工ツールなどを主力製品とし、世界中の企業に製品を提供しています。

ディスコは2009年以降、(取締役)会長と(代表)社長の機能分離を継続。溝呂木斉 会長の下で、関家一馬 社長が執行と技術開発を統括する体制を敷いてきました。

関家一馬は1966年に生まれ、88年に慶應義塾大学理工学部を卒業後、89年にディスコ入社。PS事業部の技術開発責任者などを経て1995年に取締役、2009年に代表取締役社長(現行制度では代表執行役社長)に就任。技術開発本部長を兼ねる"開発トップ兼経営トップ"の体制は現在も継続しています。海外子会社(台湾・米国・シンガポールなど)での経営も歴任しており、全社 P/L の舵取りと現場技術の両方に通暁する経営者です。

ディスコの社史をさかのぼると、広島県呉市で創業した第一製砥所は砥石メーカーから出発し、超薄刃・ダイヤモンド砥粒の開発を経て自社で"機械"までつくる総合プレイヤーへ進化しました。現在の事業ドメインは「切る・削る・磨く」。半導体ウエハのダイシングソー(ブレード/レーザー)・グラインダ(薄化)・ポリッシャ・周辺装置と消耗品(ブレード・砥石)で世界的なシェアを握っています。

製品ポートフォリオは、ブレード式とレーザー式のダイシング、裏面を薄くするグラインディング/ポリッシング、更には「ステルスダイシング」(ウエハ内部に改質層を作り、外部から割り分ける乾式レーザー)や、DBG(Dicing Before Grinding)/SDBGなどで、微細化・高歩留り・高強度化を同時に追求してきました。

【出典】
・ディスコ「有価証券報告書」(2024年6月27日提出)
・ディスコ公式サイト「企業情報・沿革」(2025年1月確認)
・ディスコ「2024年3月期決算短信」(2024年5月9日発表)

9位:伊藤兄弟 イトーヨーカドー創業家

イトーヨーカ堂のルーツは1920年、浅草の洋品店「羊華堂(ようかどう)」にさかのぼります。創業者家系の吉川敏雄(伊藤雅俊の叔父)が衣料店「Yokado」を開き、1958年に「ヨーカ堂」(のちイトーヨーカ堂)を法人化。敗戦からの復興・都市化・量販化の波に乗り、総合スーパー(GMS)として全国に店舗網を広げました。

その後、コンビニという新業態に賭け、1974年に日本初の7-Elevenを開業。この多角化が、のちにグループ価値の主役をGMSからCVSへと移す引き金になりました。創業家の伊藤雅俊(1924–2023)は戦後の家業を「イトーヨーカ堂」として拡大し、7-Elevenの日本導入と米Southland(7-Eleven, Inc.)への出資・買収を進めました(2023年3月逝去・享年98)。

伊藤雅俊が社是の根に置いたのは、実母の教えに発する徹底した現場主義です。「お客様は来てくださらないもの。お取引先様は(商品を)売ってくださらないもの」。"商人の信用は一朝一夕に生まれない"という自戒とともに、「信頼される、誠実な企業でありたい」(1972年)という社是が、コンビニでもGMSでも共通の行動規範となってきました。

その子供に当たる「伊藤兄弟」は、創業家の後継世代(例:次男の伊藤順朗氏ら)を指す呼称で、順朗氏はセブン&アイHDの取締役・役員を歴任し、創業家として企業統治・資産承継の要を担ってきました。創業家は持株・財団・冠施設(Drucker–Masatoshi Ito GSM / 東大・伊藤国際学術研究センター等)を通じて社会的影響力を持つものの、経営の執行権限はプロ経営陣に委ねる体制が原則となっています。

2000年代以降、グループの価値創造の主役はコンビニ(7-Eleven)に移りました。北米でも2020年のSpeedway買収(対Marathon Petroleum、約210億ドル)で規模と地理的カバレッジを一気に拡大。日本+北米における二大コンビニ事業を核にデジタル活用による店内オペ・ラストマイルの生産性改善を掲げています。

2023年、セブン&アイは百貨店「そごう・西武」を売却。この過程では旗艦店の労組ストが話題になりましたが、意思決定は7-Eleven集中の資源配分を進める観点から既定路線でした。2024年にはイトーヨーカ堂の不採算店閉鎖・衣料事業の撤退を発表し、GMS再編のギアを一段上げました。2025年3月には、CEO交代構想(外国人CEOの検討)と併せて、非中核事業の売却・北米7-ElevenのIPO構想などを含む大型リストラクチャリングを公表。敵対的買収提案(Alimentation Couche-Tard)への防衛も背景に、資産の磨き上げと株主還元を同時に進める方針を示しています。

【出典】
・セブン&アイ・ホールディングス「2024年2月期有価証券報告書」(2024年5月23日提出)
・セブン&アイ・ホールディングス「統合報告書2024」(2024年9月発行)
・セブン&アイ IR資料「事業ポートフォリオ見直しについて」(2025年3月7日発表)
・日本経済新聞「セブン&アイ、CEO交代検討」(2025年3月8日付)

10位:森章 都市開発やホテル経営に注力

森章(もりあきら)は、不動産開発会社森トラストの取締役会長(Chairman)。森ビル創業者・森泰吉郎の三男です。

1990年代末の分社・再編以降、森家の長兄・森稔(元・森ビル社長)とは、それぞれ別会社のかじ取りを担ってきました(*森トラストは森章、森ビルは森稔)。

グループ内の後継は2016年に実娘の 伊達美和子が森トラストの社長兼CEOに就任し、章は会長に退いた――というのが公式の現行表記です(就任メッセージにも2016年承継と明記)。資産順位の現在地としては、Forbes「Japan’s 50 Richest 2025」(2025年6月30日発表)で森章&ファミリーは日本10位(推定47億ドル)。日本の不動産大手の一角として、保有・開発・運用の3機能を束ねる「開発—保有—運用」の厚みが評価されています。

森トラスト・グループの日本柱は、都心オフィス/商業/ホテルを組み合わせた複合開発と、国内ハイエンド観光を狙うホテル&リゾート運営。代表案件のひとつがTOKYO WORLD GATE(東京ワールドゲート)。虎ノ門の国家戦略特区に位置づけられ、「神谷町トラストタワー」を中核とする国際ビジネス拠点として2020年に竣工、広場・ビオトープ・大径樹の保存移植など都市の自然共生も織り込んだ計画です。アカサカ(東京ワールドゲート赤坂)も特区事業として進行中で、都心の複合開発は森トラストの"顔"となっています。

もう一方の柱がホテル&リゾート事業。Conrad Tokyoを擁する東京汐留ビルディングなどの都心ラグジュアリーに加え、「SUI」×マリオットのLuxury Collectionといったデュアルブランド(例:奈良、沖縄・宮古島〈伊良部〉)で"日本の高付加価値観光"を打ち出しました。

【出典】
・Forbes「Japan’s 50 Richest 2025」(2025年6月30日発表)
・森トラスト公式サイト「企業情報」(2025年1月確認)
・森トラスト「統合報告書2024」(2024年10月発行)

11位:毒島秀行 SANKYO取締役会長

毒島秀行は1952年に生まれ、1977年SANKYO入社。1996年に代表取締役社長、2008年に代表取締役会長CEOとなり、2022年から取締役会長(*代表取締役社長 兼 CEO/COOは小倉敏男)。創業者の父・毒島邦雄(1925–2016)は三共電機製作所から出発し、「超特電『フィーバー』(1980)」の大ヒットで業界を牽引した人物です。

毒島邦雄は1966年に名古屋で株式会社中央製作所として創業し、同年三共製作所→三共と商号変更。1991年に店頭登録、1995年に東証二部上場、1997年に一部指定替えという資本市場の階段を上りました。

SANKYOは遊技機(パチンコ・パチスロ)の企画→開発→生産→販売を一気通貫で担い、グループ会社としてビスティ(旧・大同)、ジェイビー、三共エクセルなどを擁し、知財・設計・部材生産・販売の機能を分担しています。

【出典】
・SANKYO「第59期有価証券報告書」(2024年6月27日提出)
・SANKYO公式サイト「企業情報・沿革」(2025年1月確認)

12位:三木谷浩史 楽天経済圏の進化とAI革命への挑戦

三木谷は1965年に神戸に生まれ、88年に一橋大学を卒業後、日本興業銀行に入行。

1991〜93年にハーバード・ビジネス・スクール(MBA)で学び、帰国後に独立の意思を固めると、96年にクリムゾングループを設立。97年にエム・ディー・エム(MDM)としてECモール事業を開始し、同年5月に「楽天市場」を開設しました。99年に社名を楽天へ変更し、2000年にJASDAQ上場すると、資本市場を梃子にM&Aと多角化を加速していきます。起業の動機は「一度きりの人生で悔いを残したくない」という決意でした。

「楽天」のネーミングは「楽市・楽座」に由来し、そのモールは、巨大企業が全てを統制するのではなく中小の事業者をエンパワーすることを意図しており、これが、のちの「楽天経済圏」の核になります。

その経済圏の骨格は「EC×フィンテック×ポイント」です。楽天は、EC(楽天市場・トラベル・ブックス等)にフィンテック(カード・銀行・証券・決済)を結合し、楽天ポイントで横断的に回遊を促す"経済圏"を構築しました。2024年度の連結売上高は2.3兆円(前年比+10%)で5年ぶりの通期黒字(Non-GAAP営業利益)を回復。フィンテック部門の非GAAP営業利益は1,534億円(+37.9%)、カードの年間GTVは24兆円、楽天銀行の口座数1,648万(2024年末)と、金融が稼ぐ構図が鮮明でした。

(* 楽天カードは会員拡大・決済大口化で利益拡大、楽天銀行は預金12兆円・口座1,648万と主力口座化が進んでいます。楽天証券は口座1,193万(2024年末)→2025年1月に1,200万を突破)

そのほか、2004年創設の東北楽天ゴールデンイーグルスは楽天100%子会社。J1のヴィッセル神戸も楽天傘下で、地域コミュニティとグローバル露出の両面でブランド資産を積み上げてきました。

さらに、2020年にMNO(自前ネットワーク)として楽天モバイルを立ち上げます。こちらは構造軽量化を狙うも初期は赤字続きでした。しかし、2024年12月に月次EBITDA黒字化(23億円)を達成し、2024年度はモバイル部門の赤字が大幅縮小。2025年度の通期EBITDA黒字化を目指しています。契約者数は2024年10月に800万件突破、2025年7月に900万件、社内資料では「できるだけ早期に1,000万件」を明示しました。

通信立ち上げに伴う社債償還・金利負担は重く、2024年時点で、25年末までの債券償還資金が焦点でした。楽天は資産売却・在庫流動化・モバイルの設備リース/セール&リースバック(1,500〜3,000億円規模)などで追加の親会社有利子負債に依存せずにFY2024の資金需要を賄ったと説明。ドル建て劣後債の発行・一部買い戻しで’25年までの「コーラブル債」対応を完了させるなど、負債の山の"ならし"を進めています。

また、近年は「AIの民主化」をうたい、Rakuten AIで経済圏を再設計します。 生成AIのエージェントがユーザー属性・嗜好・購買トレンドを解析してパーソナライズ推薦や販売者向けインサイトを提供。年次イベントも「Rakuten AI Optimism」へ刷新し、経済圏のUIそのものをAI化する方針を鮮明にしました。

【出典】
・楽天グループ「2024年度通期決算短信」(2025年2月13日発表)
・楽天グループ「2024年第4四半期決算説明会資料」(2025年2月13日)
・「Rakuten AI Optimism 2024」イベント資料(2024年11月開催)
・楽天モバイル プレスリリース「契約者数900万件突破」(2025年7月1日付)

13位:野田順弘 オービック代表取締役会長

オービックは独立系システムインテグレーターの雄であり、2025年3月期決算では、売上高1,185億円、営業利益766億円、営業利益率64.6%、32期連続増収という記録をたたき出しています。

この高収益企業を一代で築き上げたのが、創業者であり、代表取締役会長兼社長を務める野田順弘(のだ まさひろ)です。野田順弘は、1938年に奈良県(宇陀郡室生村)に生まれ、近鉄百貨店で働きながら、関西大学経済学部の夜間部に通い、会計機輸入販売会社に籍を移しました。ここでコンピュータと出会ったことが後の起業につながる転機となります。

1968年、野田氏は29歳の頃、妻と共に「株式会社大阪ビジネスカンパニー」(現オービック)を設立。当初の資本金はわずか50万円。事業の柱は会計事務所向けのコンピュータ利用受託計算サービスでした。多くの企業が「そろばん」と「手書き伝票」で経理処理を行っていた時代、コンピュータの可能性にいち早く着目したわけです。

この「顧客の未来を見据える」という視点が、オービックのDNAの核となる。彼らは単に計算サービスを提供するだけでなく、顧客である会計事務所の業務を徹底的に学び、いかにすればコンピュータが彼らの生産性を向上させられるかを考え抜いた。この顧客密着の姿勢が、後のビジネスモデルの礎となっていく。

創業以来、貫かれている独自の経営モデル(「野田イズム」)の根幹は、以下の4つの原則で成り立っています。

1. 「製販一体」:IT業界では、開発、販売、導入支援、保守・運用をそれぞれ別の企業が担う「分業体制」が一般的ですが、オービックはこの常識を否定し、統合業務ソフトウェア「OBIC7」シリーズの開発から、顧客への直接販売、導入コンサルティング、そして稼働後のサポートまで、全てのプロセスを自社で完結させる「ワンストップ・ソリューション」を徹底します。

2. 顧客の成功こそが自社の成功。「顧客第一主義」の徹底

3. 鉄壁の財務基盤を築く「無借金経営」

4. 会社の財産は「人」。「100%新卒採用」と社員重視の経営(原則、中途採用を行わず、全ての社員を新卒で採用)

野田順弘氏は日本中央競馬会(JRA)の馬主でもあり、資産管理会社「株式会社ダノックス」名義で数多くの競走馬を所有。「ダノン」の冠名で知られ、競馬ファンにはお馴染みの存在になっています。

【出典】
・オービック「2025年3月期決算短信」(2025年4月24日発表)
・オービック「有価証券報告書」(2024年6月27日提出)
・オービック公式サイト「企業情報・沿革」(最終更新:2025年1月)

14位:三木正浩 ABCマート創業者

1955年、三重・伊勢に生まれた三木正浩は、1985年に東京・早稲田で靴と衣料の輸入販売商社「国際貿易商事」を創業(のちInternational Trading Corporation〈ITC〉へ改称)。ミッドプライス帯の輸入靴を自ら仕入れ、中間マージンを極小化するモデルをつくることから事業を始めました。

1987年にVANSの国内総代理契約、1994年にはVANS商標の使用権取得、1995年には英G.T. HAWKINSの商標権を買収。仕入れ権益→商標→自社企画と、川上側の権利と調達網を段階的に押さえ、価格競争力と商品独自性を両立させます。

1990年に小売へ進出し、1990年代半ばには「ABC-MART」を量産。2002年、ITCが(旧)ABCマートを吸収合併して商号をABC-MART, INC.に変更、同年東証一部(現プライム)に上場。卸を一気に縮小し小売(自社店舗)に軸足を移すSPA化で、粗利と在庫回転の主導権を握りました。上場の資金調達力を梃子に、SC内出店・路面出店の両輪でドミナンスを形成し、2000年代半ばに国内シェア上位へ。

三木は自社レーベル(HAWKINS/NUOVO/VANSのライセンス利用など)と、ナイキ等ナショナルブランドを売場の"動線設計"で併置するMDを徹底。自社で粗利を確保しつつ、NBで集客する"二階建て"戦略はABCマートの基本形になりました。2000年代後半以降は、グランドステージ(ハイエンドNBを厚く)やSPORTS/Charlotte(カテゴリー特化)といった業態多層化で商圏ごとの単価・回転を最適化しています。

2002年の上場後、韓国(2002年設立/03年開店)と台湾(2009年 子会社化)で本格展開。2012年には米LaCrosse Footwear, Inc.をTOBで完全子会社化、アウトドア/ワークブーツの川上(本国ブランド)を押さえました。2014年にはWhite’s Boots(米)をLaCrosseが追加買収、プレミアム領域の"厚み"を増し、2019年に国内1,000店、2022年にはOSHMAN’S JAPANを買収、2024年にグループ1,500店の節目を迎え、ベトナム出店で東南アジアにも踏み出しました。

三木は2007年に会長を退任(以降は投資活動や不動産・ホールディング事業=イーエム・プランニングへ軸足)。2023年2月、筆頭株主が三木個人→合同会社イーエム・プランニングへ異動(三木氏親族が全株式を保有、代表は三木本人)。

支配株主の注記は翌年に訂正が入りましたが、2025年5月の「支配株主等に関する事項」ではEM Planningの議決権合計62.44%と開示され、創業家の資本支配は一貫して厚い状態です。

【出典】
・エービーシー・マート「第40期有価証券報告書」(2024年5月30日提出)
・エービーシー・マート「支配株主等に関する事項について」(2025年5月30日開示)
・エービーシー・マート プレスリリース「グループ1,500店舗達成」(2024年3月1日付)

15位:小川賢太郎 ゼンショーホールディングス創業者

小川賢太郎は1982年にゼンショー(現・ゼンショーホールディングス)を創業し、同年7月に弁当店「ランチボックス」1号店、11月に牛丼店「すき家」1号店(生麦駅前)を開店した。創業初期から調達・製造・物流・販売を一気通貫で設計する独自の「マス・マーチャンダイジング・システム(MMD)」を掲げ、低価格と品質管理、スピード出店を両立させるチェーン運営を築きました。

ゼンショーは上場後、M&Aと多業態展開で規模を急拡大。「ココス」「はま寿司」「ジョリーパスタ」などを擁する外食コングロマリットへ成長し、Forbes Japan(2024年12月号)は同社を"15,000店超のネットワークを持つ上場外食企業"として紹介している。

2025年には世代交代を断行。5月13日のIRリリースで代表取締役の異動(6月27日付)が内定し、小川は代表取締役会長、後任に小川洋平が代表取締役社長兼CEOとして就任する方針が示された。公式サイトのトップメッセージでも、6月の新社長就任と理念継承が示されています。

小川は「食を通じて世界から飢餓と貧困をなくす」という創業理念を掲げ、それをバリューチェーン内製化と現場起点の標準化で具体化してきました。外食の価格・品質・供給安定性を両立させるための仕組みを磨き上げた点が、ゼンショーの成長と国際的評価につながっています。

【出典】
・ゼンショーホールディングス「代表取締役の異動に関するお知らせ」(2025年5月13日付IRリリース)
・ゼンショーホールディングス公式サイト「トップメッセージ」(2025年6月27日更新)
・Forbes Japan 2024年12月号「外食チェーン特集」(2024年10月25日発売)


ランキングから見える日本経済の特徴

富豪の高齢化

データを見ると1位~5位が1兆円以上です。
6位~20位が4000~8000億円、
21位以降が4000億円以下なので、トップ層とそれ以外のメンバーとの差が非常に大きいことが分かります。
そして、一番多いのは70代という構成になっています。

  • 90代が3名
  • 80代が12名
  • 70代が16名
  • 60代が9名
  • 50代が1名
  • 40代が1名

これは50代で若いと言われる日本政界を思い出させる年齢構成です。49歳の前澤友作氏を除けば、若手のスタートアップ経営者がトップ層に入り込むのは依然として難しい状況が続いています。これは、新しい産業が生まれにくい日本の経済構造を反映しているのかもしれません。

都道府県別の長者番付は?

「東京都の長者番付は?」「大阪府は?」といった地域別のランキングに関心を持つ方もいるかもしれませんが、フォーブスの長者番付は国別発表なので公式な都道府県別のリストはありません。ただし、ランキング上位者の多くは、本社機能が集中する東京都に居住または拠点を置いているケースがほとんどです。柳井正氏、孫正義氏、三木谷浩史氏など、多くの資産家が東京をベースに活動しています。その一方で、滝崎武光氏のキーエンス(大阪)、佐治信忠氏のサントリー(大阪)、永守重信氏のニデック(京都)など、関西を拠点とする企業も多くランクインしており、日本の富が必ずしも東京一極に集中しているわけではないことも示唆しています。

Posted by 南 一矢